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紙魚子の小部屋 パート2 plus はてな版 (2009年9月〜)

平凡な主婦の日常と非日常なおでかけ記録、テレビやラジオや読書の感想文、家族のスクープなどを書いています。

紙魚子(しみこ)のおでかけのあれこれ、ユニークな家族、節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物などを書いています。

座談会は和やかに。

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 さて、「(特別展覧会)桃山時代狩野派 永徳の後継者たち」に展示された作品たちを、

 (写真はすべて、展覧会のパンフレットより)

山下先生が中心になり順を追って見どころを解説したり、井浦さんに振って感想を訊ねたり、はたまた「日本美術応援団員3号」の実力をテストするかのように質問をしたり(苦笑)。

 以前別のところで行われた、井浦さんの団員としての初のトークイベントは、彼の入団テストも兼ねていたというウワサもあるくらいなので、ライブで試験を受けるみたいな厳しさに、彼も緊張ぎみだったかも。

 でも井浦さんは、「団員として相応しいファッション」というお褒めの言葉も、山下先生からいただいている。「ちょっと皆さんにお見せしてください」と山下先生に促されて、立ち上がる井浦さんの足元は、スニーカー。右がグリーンで左がホワイト。さて、これは有名な京都の日本美術を表しているのですが、何でしょうか? 

 そうです! 「風神雷神図」。グリーンとホワイトを二足買われたのではなく(私ならそうするかも・笑)、井浦さんの特注だそうです。風のように野山を駆け巡り、雷神のように天駆ける足をイメージしたとかで、なんともロマンチック。これはもう、好きにならずにいられませんよね♡ 

 その井浦さんの展覧会の感想は、永徳から探幽までの画家と狩野派の流れが見えた、ということ。

 安土桃山時代は、ご存知のとおり群雄割拠した戦国時代。権力者がパトロンとなって絵師を支えてくれても、彼の時代がいつまで続くのかはわからない、先の見えない時代だった。そんな時代を狩野派の絵師たちは、どうやってくぐり抜けたのか、というのも、みどころの一つ。永徳以前、永徳以後の画家たちの作風の個性と変遷も興味深い。

 豊臣、徳川、朝廷のそれぞれにわかれてそれぞれの画風を確立し、生き残りを計った狩野派の絵師たち。その流れは、明治の河鍋暁斎まで続いて行く。彼だって狩野派で学んでいるのだ。

 個別に見て行った中では、関ヶ原で寝返ったという悪評高い「小早川秀秋像」が面白い。依頼者と世の評判との板挟みになった絵師の困惑が、彼のナサケナイ表情になったのかも。

 「吉野花見図屏風」では、「ウォーリーを探せ!」状態で、秀吉を探す楽しみもある。バランキン(担ぎ籠)というものに乗っているのが秀吉だ。

 また秀吉の七回忌に行われた豊国の祭礼を描いた「豊国祭礼図屏風」には、コスプレで登場する人々が! なんとタケノコのコスプレをしているという山下先生イチオシの人がいるので、それは展覧会場でぜひ探し出したい。「洛中洛外図屏風」には、恵比寿さんやダイコンのコスプレ者だっているそうだ。桃山時代から、日本人はコスプレ好きだったという発見(笑)

 永徳の後継者と目された狩野光信の「源氏物語屏風」という典型的な平安絵巻に「お侍さん」がいる、という茶目っ気も。まるで桃山の山口晃だ(笑)

 そして安土桃山といえば、やはり南蛮文化だろう。南蛮屏風には、卒業写真で欠席した人のように、丸囲みされた南極が描かれている。別のでは、カステラのパッケージで有名な、あの南蛮屏風の絵もありました。

 2回ほど意識を失いそうになる一瞬??があったけど、ギリギリ爆睡することなく、なんとか復帰できてほぼ聴けたのではないかと思う。今回は時間切れで座談会のみ。展覧会はいずれじっくりと。展示替えがあるから、前期(〜4/26)も後期(4/28〜5/17)も行きたいけど、まずは前期に間に合わせなきゃね。