ドヤ顔の誤解
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晩ご飯の夫婦の会話。
私が、「今日ラジオで、クラシックの番組聴いてたら、ゲストに若いチェリストの人が出てはったねん。その人が、北欧の先生に弟子入りしたとき、その先生はどんな曲でも圧倒的に魂に響く演奏をして、終わったら必ず『ドヤ顔』しやはったらしい」というところまで話をした。
「ドヤ顔といえば、長いこと、まったく違った解釈していて恥ずかしかった。最近ドヤ顔の使い方を知ったんやけど」
ええっ!? 知らんかったの〜!? こりゃまたバッチリはずかしーやん。
「ドヤ街のドヤやと思てた。そやしドヤ顔は、ハードな労働でやつれて、腹減って頬が痩けているもんやと信じてた。ドヤ顔になるなんて、かわいそうやなーと思ってたのに、なんか違うかった」
その誤解の仕方、Kちゃんとめっぽう似てる。さすがは父娘だと感心する。