「懐かしのメロディー」
外観はまさに「おうち」だったが、中はどうなのか。
・・・中だって畳敷きのふつうの「おうち」です! 壁面には原画のパネルが並び、販売されている蔵出し本が並び、ちゃっかりちゃぶ台まである。仕切りをはずしたニ間14畳は親戚の家か、友達の家に来たよう。鶴と松のりっぱな欄間も見どころ。
目をひくのは最奥にあったビブリオの看板娘こと、真空管ステレオの「りんごほっぺ号」(←青字をクリックすると画像がみられます)。見た目はその名のとおりかわいい。働き者だが「ギャラリー」の建物とほぼ同じ年代なので、年季が入っている。そのためときたま息切れして、ぷつりと固まってしまうこともあるようだ。
今回彼女は「懐かしのメロディ」のBGMとして、春日八郎、田端義夫、三波春夫、ディック・ミネをヘビロテで回しているそう。こういう蕃茄さんのアイディアは、ほんとに微笑ましい。
ステレオを生まれてこのかた見たことがない小さな男の子が、興味津々でリンゴほっぺ号の前に座り込み、回るレコードを見つめ続けていた。彼にとっては展示よりはるかに興味深いものだったのだ。うーん、ウチのTくんが幼児の頃、科学館の「ボールの運動」(ピタゴラスイッチみたいなもの?)を1時間半眺めていたようなものなのだろうか。小さな男の子の、こういうものへの興味の強さは計り知れない。
で、本題、つげ忠男さんの「懐かしのメロディ」という短編のオリジナル1969年版と、ストーリーは同じ内容で絵柄が変るリメイクされた2015年版の同時展示。これは素人目ながら、かなり面白かった。
今回は、東京の乗り換え路線と格闘しているうちに日が経ったので、展示についての予習は皆無。いや、予習するほどの知識も持ってなかった。つげ忠男さんのマンガを読むのも展示で初めて。でもパネルで読み進めて、すっかりのめり込んでしまった。
ごく短いストーリーなのに、行間が信じがたいほど豊かなのだ。だから読み終わった後、なんだか呆然としてしまう。読み手の想像力を呼び覚ます気配が、画面から立ち上がっている。戦後の情感、埋められない空虚、癒せない心の傷跡、バラック、せつないやるせなさ、語り手のやさしさあたたかさが、怒濤のように伝わって来る。ネーム(科白やト書き)が僅かで、多くを言い尽くされていないからこそのひろがりと、濃厚な気配が漂っている。テレビドラマでは感じ得ないような、私が知らないはずの戦後の気配を感じさせてくれるのだ。それは、背景の丁寧な書き込みによるものかもしれない。これが1969年版。
2015年版の方は、キャラクターのガタイが良くなり、顔つきもすさんで、おそろしくケンカが強く負けたことが無いという部分の説得力は格段にある。絵も整理されているような気がする。でも69年版の、戦争への封印された怨念のようにも思える陰影に、すっかり魅了されてしまったので、21世紀版を見た後、もう一度20世紀版を見てしまった。
小説もマンガも間合いと行間に価値があると信じている私には、その後もちょっと心ここにあらず的な気分になってしまった。久しぶりにどえらいマンガを見たものである。
そしてこの企画が、この「おうち」ギャラリーで行われたのは、幸福な出会いといわずしてなんと云おう。ふつうのギャラリーでは、この作品の持ち味をここまで活かしきれなかったろう。もし事前に書籍を読んでいても、こんな気分になったかどうか。場や空間というものの意味を、考えてしまう展示だった。
しかし「ギャラリー・ビブリオ」は、もちろんこれだけでは終わらない。