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紙魚子の小部屋 パート2 plus はてな版 (2009年9月〜)

平凡な主婦の日常と非日常なおでかけ記録、テレビやラジオや読書の感想文、家族のスクープなどを書いています。

紙魚子(しみこ)のおでかけのあれこれ、ユニークな家族、節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物などを書いています。

盛岡を歩く その2 光原社

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 「いーはとーぶアベニュー」に戻り、土蔵のような白壁の光原社本店にはいる。高価そうな手づくりの物品は買えないけど、せめて見るだけでも。

 光原社はもと出版社で、大正13年(1924)、宮沢賢治の生前唯一の童話集『注文の多い料理店』を発刊し、社名も賢治に「光原社」と名づけられたことでスタートした。創業者が、賢治と盛岡高等農林学校で、先輩、後輩の間柄だったからだ。当時、花巻農学校の教師をしていた賢治を訪ねた創業者は、賢治から膨大な童話の原稿を預かった。

 二人の夢を乗せた童話集は、残念ながらほとんど売れず「注文の少ない童話集」になってしまった。しかし創業者は生涯、『注文の多い料理店』と宮沢賢治を語るとき、とても愉快な気持ちだったらしい。賢治という天才と知り合い、一冊の本を通じて(いーはとーぶ)の夢を見たことが、彼にとって幸福な想い出となったのだ。

 中庭には、賢治の童話「烏の北斗七星」の一部を刻んだ石柱がある。

 「あゝ、マヂエル様、 どうか憎むことのできない敵を殺さないでいゝように早くこの世界がなりますように、そのためならば、わたしのからだなどは、なんべん引き裂かれてもかまひません」

 ↑和風な佇まいのこちらは、『注文の多い料理店』出版の地の石碑だ。

 賢治なきあと光原社は、鉄器の高橋萬治や民芸の柳宗悦、染色の芹沢けい介、版画の棟方志功などの知遇を得、出版の仕事から鉄器、漆器、全国各地の民芸へと業態が移っていった。

 中庭は、西洋の農場風でもあり、

 不思議なメルヘンの世界のようでもあり、

 独特だけどしっくりくる、なんだか自然にうれしくなってくる、いい感じの空間だ。

 お店には2階もあったのか! うわ、行きそびれてしまった。壁のオブジェも面白い。

 そろそろ夕暮れが近づいて来たので、「可否館」の看板に灯がともる。

 手入れされた竹林と大壷のある庭をのぞむ、セピア色の空気が流れる喫茶店。私以外の客は、3名の大学生らしき、真面目な男子たち。

 モスグリーンのベレーを被った寡黙なお姉さんがひとりで、おみせを切り盛りされていた。カンペキな世界ができあがっていた。ここにしかない世界だ。

 ホット珈琲に定番のくるみクッキーをいただいて、別世界のような喫茶店をでる。まるで本の中のような、うっかりすると本の中から出られなくなるんじゃないかと危惧されるような、そんな懐かしさと不思議さを兼ね備えたお店だった。

 ここもまた、賢治さんっぽい雰囲気が漂っている。

 向いには光原社「モーリオ」というお店があり、岩手の食品や工芸品が販売されている。「可否館」の定番「くるみクッキー」や、わんこ蕎麦用の短めの蕎麦、南部鉄器やザルやカゴなど。

私はせっかくなので、漆塗りのお箸を購入。嵩張らないし。今回は、小さいものばかり買ってる。

 「モーリオ」の外には、落ち葉とともに、楽しげな賢治さんが一服中でした。