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紙魚子の小部屋 パート2 plus はてな版 (2009年9月〜)

平凡な主婦の日常と非日常なおでかけ記録、テレビやラジオや読書の感想文、家族のスクープなどを書いています。

紙魚子(しみこ)のおでかけのあれこれ、ユニークな家族、節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物などを書いています。

男鹿駅前徘徊

以前の記事「紙魚子の小部屋」は下のリンク集から読めます。

 実はあまりにも電車の乗り継ぎが良すぎるので、予約したシャトルタクシーの時間より1時間半ほど早めに来た。郵便局に行きたかったからだ。

 局員の方に、「どこからみえたんですか?」と訊かれて「滋賀県です」と答えると、かならず「ああ! 琵琶湖の!」と返って来る。「滋賀県=琵琶湖」という公式が、東日本では成り立っているらしい。

 郵便局へは、駅前の道を線路沿いに歩いたのだが、ほぼ人通りもなく、車が走って行くばかりだ。途中に市立図書館があったので、ちょっと立ち寄ってみた。

 ちいさな受付の窓口があり、奥に狭い廊下が続いて、いくつかの貸部屋のドアが続いている。あれ? 図書館は? と探したら、2階に矢印看板が!

 ええっ!? お年寄りが多そうな土地柄なのに、階段で2階はちょっと億劫になってしまうのでは。いわゆる「複合施設」のなかに図書館があるのだ。実は地元の図書館も10年以上前は同じ身の上だったが、現在は立派な平屋で、駐車場も広く、設備も蔵書も充実した図書館になった。今では浴びるほど書籍を享受することができる。幸せなことだ。

 結局階段がネックとなり、男鹿市の図書館へはいかずじまいに終わってしまった。

 さて、郵便局から駅までの帰り道、私の洋館?アンテナがピンと立った。

 きれいに刈り込まれた植木の奥の木造建築は、ヴォーリズ氏の自宅だったヴォーリズ記念館の側面に似ている。その前のコンクリートの建物も、とても気になる物件だ。

 シンプルなんだけど、目が惹き付けられてしまう。

 なんだろう、これは?

 「森長旅館」? 駅前旅館だったんだ。

 少し離れた場所には、蔵らしきものも。

 なまはげ館からの帰りのタクシーの運転手さんに訊いたけど、ご存知ないようだったが、帰宅後調べると、「文化遺産オンライン」にしっかり登録されていた。昭和前/1934にできた建物で、登録有形文化財だったのだ。

角地に建つ木造2階建洋風旅館で,方形マンサード屋根を鉄板葺とする。外壁はモルタル仕上で隅柱を見せ,胴蛇腹と軒蛇腹を廻す。北面玄関は起り破風に蝙蝠を飾る。内部は中廊下で和室の客室を配し,背面には厨房等を置く。船川港の往時の賑わいを伝える建物。(「文化遺産オンライン」より引用)

 ↑これが破風の蝙蝠(こうもり)デザイン。コウモリは「おめでたい」意匠として中国から日本に伝わったもんな。

 その向いには、ちいさなバーを発見。

 シーガールはカモメ。ちゃんとカモメの絵もある。建物も店名も、昭和歌謡の世界だ。文化財ではないけど、看板を含めて好きな建物だ。

 郵便局員さんに、近くの喫茶店を教えてもらったので、そこでしばし休憩。蕎麦を食べる事にする。マスターがロック好きで、メジャーなミュージシャンもオファーされ、店内でライブも開催されるらしい。

 駅に戻り、シャトルタクシーを待つ場所を聞くため観光協会さんに立ち寄ると、親切に教えていただいたうえ、大量の「なまはげ関係」のパンフレットをくださった。

 客は私一人だったらしく、ふつうのタクシーが到着。運転手さんが、丁寧に道々の案内をしてくださった。「なまはげライン」という道路をはじめ、青鬼橋や赤鬼橋もあるそうだ。

 滋賀県から来たというと、秋田にも八郎潟という湖があって琵琶湖に次ぐ大きさだったけど、干拓によってすっかり小さくなってしまった、という話を聞く。農地をつくるための干拓なのだ。そういえば小学校の頃、社会の地理で習った記憶が甦る。近江八幡の大中だって、内湖を干拓してつくられた農業地帯だもんな。

 美しく趣のある田園地帯を走り抜け、山に入り、ほぼ15分ほどで「なまはげ館」に到着。その先にある「なまはげ伝承館」になっている曲がり家や、真山神社の手前にも迂回して、説明してくださってから、ふたたび「なまはげ館」に戻り下車。とても知的な説明をしてくださる紳士的な運転手さんだった。