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紙魚子の小部屋 パート2 plus はてな版 (2009年9月〜)

平凡な主婦の日常と非日常なおでかけ記録、テレビやラジオや読書の感想文、家族のスクープなどを書いています。

紙魚子(しみこ)のおでかけのあれこれ、ユニークな家族、節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物などを書いています。

そんなこんなで

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 1時間かそこいらの東寺見学を3日も書いてしまった。それは、それなりに感じる所や思う所の多い場所だったからなのだけれども、もちろんそれだけではない。

 そう、東寺はあくまで「ついで」だったのだ。メインは映画。タイトルは『花と兵隊』。若い監督の第1作品でドキュメンタリー。それについて書くための時間稼ぎだったりもしたのだ。これは(私には)しばらく寝かせておかないと感想をいうのが難しいタイプの映画だったから。言葉にするのが難しい部分で、受け取るものが大きい映画だったからだ。この映画を見る前に、ネットで感想などを読んでみたのだが、いまひとつピンとこなかったわけが見てわかった。なるほど。

 そもそもこの映画を教えてくださったのは、例のごとく蕃茄さんなので、その記事もあわせてどうぞ。

 以前ご紹介してくださった『蟻と兵隊』で、すっかりドキュメンタリー映画にはまってしまったので、今回も、と思い立ち、この近くで見られる映画館を検索したら、京都でひとつ見つかったので、今回出向いてみた訳である。

 もっとも当然のことながら、『蟻と兵隊』とは全く趣を異にしている。あのまばたきすらもったいないような、緊張感あふれる画面ではなく、うっかりすると睡魔に負けそうになったくらい、(良い意味で)「ゆるい」画面だった。戦争がテーマの映画にしては、不思議なくらい自然体。

 監督は撮影時、若干28歳の松林監督。もうアジアの危ない場所を好んでバックパッカーしているような兄ちゃん、という風体。でも社会派な気負いや、ムネに渦巻く反戦な正義感は、みじんも感じない。意外にも、ものすごい自然体。

 この自然体こそが、しかしこの映画の魅力であり、強みであり、個性であり、力なのかもしれない。それは見終わったあとに効いてくる。

 

 第2次大戦中、酸鼻を極めたインパール作戦を経験し、そのまま終戦後もミャンマービルマ)やタイに残った6人の未帰還兵たち。90歳前後の元日本兵を20代の若者がインタビューする。

 ちょっとはらはらするような素人っぽい(あるときはあまりにもダイレクトな)インタビューなんだけど、それは相手の言葉を引き出す呼び水というよりは、大きく言えば「そのひとの過去と現在、すべてを引き出す」ように見えた。たとえ相手が言い澱んだとしても。沈黙したとしても。言葉では伝わらない何かが、まるごと雪だるまのように大きく膨れ上がりながら転がってくるようだった。

 村林監督は3年もの年月をかけて、この映画を作ったそうである。もう元兵士の方々とほとんど「お孫さん状態」という関係になったのだとか。そういえばドキュメンタリー映画では、カメラをまわす前にいかに被写体になる方と関係性をつくるかが第1歩だというのをきいたことがある。もうすっかり彼らの生活の中に村林監督が「いる」から、画面が「ゆるい」のだ。リラックスできる画面なのだ。

 「戦争と人間」というテーマなのに、まったく意表をついた作り方というか、構成で、見たことのないアングルから、「ああ、戦争ってこういうものなんだ・・・」とちゃんと伝わってくるのが、スゴイ。いままでにない切り口。

 ここまで書いて力尽きる。あしたまた、続けたいと思う。

 あと個人的には、監督もちょっと引いていたくらい一見横柄で怒りに満ちた、コミュニケーションがいかにも苦手そうな元兵士・藤田松吉さんが、きわだっていい。彼が登場してからは、もう画面に釘付けだった。