読書欄を読む
職業上、新聞の日曜日の読書欄はもれなく読まなければならないが、やはりプライベートタイムにそれをするとなると、もれる時もある。
今日は随分遅れて、やっと9月20日の朝日新聞の読書欄を読んだ。本日は予定も無く、ちょっとゆったりできたのだ。
いくつかの記事に「ふむふむ」と興味深いものがあったが、中でもひとつの書評にいたく感動した。全文はここにありますので、ぜひご一読を。
この書評を書いたのは、ジャーナリストの松本仁一さん。評された本は
『ユダヤ人を救った動物園』 (ダイアン・アッカーマン/著 亜紀書房)
書いてあったのは、だいたいこんな感じ↓ 省略して引用してみました。
ナチス支配下のポーランド・ワルシャワで、動物園の園長夫妻が多くのユダヤ人をかくまった、その実話。
大型獣はすでに処分されていた。がらがらの園舎で園長はナチスに「兵士用の豚の飼育」を提案し、閉園をまぬがれる。ドイツ軍に豚肉を供出する一方、ゲットーから知人のユダヤ人を次々に連れ出し、空いているライオン舎などに隠していく。
動物園を閉鎖することなく、ユダヤ人をかくまい続ける。救ったユダヤ人は300人に上った。見つかったら銃殺だ。しかし夫妻はちっとも深刻な様子を見せない。
家の中はユダヤ人が歩き回り、ピアノを弾いたり歌ったりしている。笑いの絶えない隠れ家だ。だが実際は、夫妻はポケットに自殺用の青酸カリをしのばせているのである。
ユダヤ人を救ったシンドラーや杉原千畝らに共通しているのは、ユダヤ人を人間として見ていたことである。夫妻も同様だった。
本書によると、ワルシャワ市民の12人に1人が、命の危険をかえりみずユダヤ人脱出に手を貸したという。なぜか。ナチスへの反感もあったろう。だがそれ以上に、ポーランド人とユダヤ人の関係が濃密だったからではないか。彼らは、そもそも初めから人間同士だったのだ。
人間を人間として見る。それは命をかける値打ちのあることなのだ。そのことの重要さが、じっくりと伝わってくる。
「人間を人間として見る」。
戦時中でなくても、果たして私たちはそれをちゃんとしているのだろうか?と自分のムネに手を置いて考えてみる。正直に振り返ってみて、そのあまりの「人間として見て」いなさに愕然とした。経済がどうしたというより、むしろそこのところで、人間はいろんなところで、いろんなやり方で、つまづいているんじゃないだろうか。
感動的な美談としてではなく、急速に私たちが失ってしまったものが何かを、重く受け止めて考えるべき本なのかもしれない。