幻の屋台
東大谷の入口から本廟までのアプローチは長い。さらに山に向かっての坂道だ。
緩やかな坂になった広い石畳の両側には、様々な樹々が茂り、風が静かに渡っていく。枝がそよぎ、つぶやきのような木のハミングが頭上を通り過ぎる。そんな中、丁寧に敷き詰められた石畳を心地よく上っていくと、自然に心静まってくる。
途中に八坂神社に通じる参道が、枝分かれして横手に続いているのだが、そこは打って変わって賑やかに屋台が並んでいた。石畳と八坂へ向かう参道の入口の交差する場所にあった最初の屋台は、「からあげ屋」の布看板をはためかせていた。
せっかく静まった心が、この屋台を見たとき不穏な思考に遮られてしまった。
「なあなあ、『からあげ屋』って、『かつあげ屋』に似てるね?」
「ほんまや! 『ら』の上の方消したら『つ』になるもんなー」
「300円の円の前に、アリみたいにちいさい○があって、『ひとつ下さい』っていったら、包み終わったあとで『へい、3千円!』って請求されたりしてね。客が不思議な顔したら、ほら、ここにちゃんと丸が一個ついてるやろ!ってドスきかせた声で凄まれたりして」
そんなことをいいながら最後には傾斜が急になっているので、石畳の坂が石段に変わっているところを上っていく。
そして帰り。石段をゆっくりと下っていき、石畳の緩やかな坂に戻る。賑やかな屋台のはためく色とりどりの布看板に、つい目がいく。そこで私は動きが取れなくなるほど、笑ってしまったのだった。
「おとーさん!! みてみて!! 『かつあげ屋』出現!!」
行きに見た『からあげ屋』の布が、風に吹かれて屋根に引っかかり、「ら」の上部がたくしあげられて「つ」に変化していたのだ!
「これは写真撮っとかんと!」とH氏が鞄を手探りして、デジカメを取り出し、さあ!というときに、あわてふためくように風が吹いてしまった。
一瞬出現した『かつあげ屋』の屋台は平凡な『からあげ屋』に戻ってしまった。まるで0時の鐘を合図に魔法がとけるシンデレラのように。木枯らしの悪戯で蜃気楼のように表れた『かつあげ屋』は、こうしてスクープされることもなく、我家の伝説として残るのみとなったのだった。