大車輪な日
今日は(いや、「も」かな)大車輪で働く。なんでか(いくら日曜とはいえ!)客足が絶えず、返却カウンタ―はてんこもり状態。配架(返却本を書架に戻す作業)をほとんどした記憶がないのは、カウンタ―の方で常時お手伝いをしていたからだ。
でも2月にはうれしいことに、大好きな職員さんが2名も復帰してくださったので、心楽しく仕事ができる。相変わらずのてんてこ舞い状態ながらも、すこしばかり心に余裕ができたのは、そのせいだ。
そして、つくづく「ひとの力」というものを思い知る。その人の能力というより、場に与える磁力というか影響力というか、陳腐な言葉でいえばオーラというものか。そこにいる人によって、こんなにも空気が変わるものかと、いまさらながら驚いてしまった。
最近思う所があり「場の空気を味わう」ことを意識している。
これは世に言う「空気を読む」というものとは違うので、それで気配りができるようになったり、先取りして仕事をすすめることができるようになったりはしないけれど(少しはできればいいなとは思うけれど)、びっくりするくらい人はそのひと独自の気配を持っていることがわかる。
きらきらした気配、どっしりした気配、水が静まるような落ち着いた気配、うきうきするような気配、和む気配。
これはもちろんスタッフだけでなく、お客さんにも色濃く漂っている。こちらはもっと様々である。
こういうことを感じていると、人ってそんなに抜きん出たり、才能を開花させたりしなくても、そこにいるだけで意味があるんだという言葉に素直にうなずけて、ちょっとうれしくなったりする。