三井寺へ その3
金堂を出て裏手に回ると、「ゴボッ・・・ゴボゴボ・・・」という、まるで『妖怪人間ベム』のオープニングのように大きく泡立つ不気味な音の在処に出くわした。
それは『三井寺』という名前の由来にもなった湧き水『閼伽井屋』だ。閼伽水とは、仏前に供えられる水のことである。それもただの湧き水じゃない。天智・天武・持統天皇の産湯に使われたことで、御井寺→三井寺の名前の由来にもなっているのだ。
天智天皇っていったら、あなた、飛鳥時代ですよ!! そんな昔から現在に至るまで水が湧いているなんて、気が遠くなりそうだ。ならないけど。
閼伽井屋の正面上には、左甚五郎作と言われている龍の彫刻がある。昔、この龍が夜な夜な琵琶湖に出て暴れたので、困った甚五郎が、自ら龍の目玉に五寸クギを打ち込んで鎮めた、という言い伝えがある。
なにしろ飛鳥時代からの霊泉がある場所なのである。伝説にはことかかない。上記の話は、きっと『三井寺レジェンド』のほんの一例なのだと思う。
次に見た『弁慶の引き摺り鐘』は、奈良時代の作とされていて、やはり伝説付きだ。
昔、俵藤太秀郷が三上山のムカデ退治のお礼に竜宮から持ち帰った鐘で、三井寺に寄進したといわれているそうだ。それが後年、延暦寺との争いで、弁慶が奪って比叡山へ引き摺り上げて撞いてみると、「イノー、イノー」と響いたので、弁慶は「そんなに三井寺へ帰りたいか!」と怒って鐘を谷底へ投げ捨ててしまった、という言い伝えがあるそうだ。鐘が(伝説にありがちな不思議なチカラで)自分で寺まで帰ったのか、だれかにお願いして連れ帰ってもらったのかは、三井寺のパンフレットには記載されていない。