生家の本堂
今日は実家で法事が行われた。結婚してから婚家の親戚筋での法事を、ひょんなことから実家で行うことになってしまったのだ。
私は実家はあまり得意ではないのだけれど、母とお寺の本堂は大好きだ。
本堂は石段を30段ほど上った場所にあり、少しだけ平地より違う空気が流れている。ちょっとだけ爽やか。山からのフィトンチッドで森林浴効果があるのかも(笑)
中学3年生のときに、夏休みの受験生活をくっきりさせようと、お寺の本堂のとなりのお座敷で寝起きすることにした。実際のところ、親元から少しだけ隔離された生活を謳歌していた。いや、単なる「離れ」に過ぎないのだけど。
もっとも実際は洋楽を聞きまくり、ラジオの深夜放送漬けの日々だった。しかも裏手はすぐ山で湿気が酷かったから、秋の気配が漂ってくると、すぐさまひどい風邪をひいたりしていた。
もっと前、小学生の頃には、近所の友達と本堂で「椅子とリゲーム」ならぬ「座布団取りゲーム」をした。
あるいは座布団に正座し、手で座布団の両側を持ち、座布団ごとピョンピョン飛び跳ねて、向こうの畳のヘリをゴールに見立て競争したことだってある。
『サインはV』や『アタックNo1』が流行ったときには、畳の縁をコートに見立てて、ビーチボールでバレーボールごっこをしたことだってある。回転レシーブもX攻撃も、畳の上でしかもビーチボールなら、思うがままである(笑) もう、やりたい放題だ。いまにして思うとコワいもの知らずというか。それだからこそ、できたとでもいうか。
さして広くもない本堂だが、一般のお寺の本堂より、なんだか明るかった気がする。ちょっと(?)くらいハメをはずしても、許してもらえそうな気配すらある(?)とても居心地のいい場所だった。
子どもの頃は、本堂で読書するのも好きだった。畳の上でねっころがって、上がり口の木の段々に腰掛けて、縁側でのほほんと、いろんな場所で本を読んだ。ものすごくくつろいで、どっぷりと読書の世界にはまりこめた。
何を読んでたっけかなあ? 『アンクル・トムの小屋』とか『青い鳥』のごく易しいの。『アンデルセン童話』とか『イソップ物語』とか。繰り返し読んだファージョンの『ガラスの靴』には、あの『クマのプーさん』で有名なシェパードさんの素敵なイラストが付いていたっけ。
そんなスペシャルな場所で見守りつづけてくださっていた仏さま↓
生家は結婚してまもなく、すっかり建て替えられてしまったので、もはや本堂とお座敷にしか、私の未婚時代の思い出は残っていない。だからこそ、よけいに大切な場所なのかもしれないな。