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紙魚子の小部屋 パート2 plus はてな版 (2009年9月〜)

平凡な主婦の日常と非日常なおでかけ記録、テレビやラジオや読書の感想文、家族のスクープなどを書いています。

紙魚子(しみこ)のおでかけのあれこれ、ユニークな家族、節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物などを書いています。

幼稚園児はおもしろい/男子編

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 昨日、読者のりんごさんから掲示板にコメントをいただいた。彼女の幼稚園児の息子さんが「土偶」にハマっておられるという話に、そうそう、幼稚園男児って面白いよねえ〜!!と、昔のことをまたもや思い出してしまった。

 うちの家系の男子は、3代にわたる超マニアックな人たちだ。息子のTくんもご多分にもれず、好きな道をまっしぐらに驀進である(現在進行形)。

 栴檀は双葉より香ばし、三つ児の魂百まで、という諺を具現するかのように彼は2歳の頃から、その凝り凝りぶりを発揮していた。2歳から8歳、ことに幼稚園時代には面白さ満載だったのだ。

 男子が必ず通る道として、乗り物、恐竜、昆虫という王道があるが、その内の電車、道路、標識などに、まず興味を示した。

 まだ彼がそんなに距離を歩けないので、バギーに乗せつつ一日1回、町内を通過する特急電車を見せに線路近くまで日参したこともある。3歳にならない子どもに「日本の特急列車特集」をしている鉄道雑誌を与えたりして、息子の鉄ちゃん化に拍車をかけた。京都駅まで「トワイライト・エクスプレス」(北海道行きの豪華ホテル並みの特急列車)を見に行ったこともある。

 幼稚園児になったら『JRゲーム』という盤ゲームを買って、家族皆がお相手を勤めた(これで彼は日本地理と各地の名物のベーシックを覚えた)。

 青春18キップが出回れば購入し、途中下車しつつ琵琶湖一周(福井県にも寄り道)したり、岐阜の路面電車や六甲のケーブルカー目的で日帰り旅にいそしんだりもした。乗り物三昧の日々は私自身の息抜きにもなった。

 それに平行するように音楽にも興味を示したので、ピアノを習わせることになった。聴く方では中島みゆきに入れ込んで、『中島みゆき詩集』(文庫)に○△×を入れ、彼なりの評価を下していた。とても幼稚園児の所業とは思えない。

 小学1年生になる頃には、架空の!メンバー、ガトー・ショコラくんと組んでバンドを結成し、作詞、作曲をし、ひとりでギター、ピアノ、ボーカルを担当する。作詞は当時凝っていたビートルズの影響で、Ah〜!とYeah!が連呼されていた。なんと、デモテープ(!?)まで作っていたのだ(笑)

 天気図にもいたく興味を示し、登園する前に朝刊を手に取って「今日の天気図」を見るのが日課だった。幼稚園の「おえかき」は彼の苦手とするところだったが、唯一「おてんきよほう」と題した絵だけは、先生も絶賛の楽しそうな絵だった。パープルをバックに等圧線や前線が大胆に引かれていた。

 幼稚園で「好きな国旗をかきましょう」というお題が出た時には、レアな国、ルワンダの国旗を描いていた。その頃は『ルワンダの大虐殺』という大事件があり、テレビでなにか心に焼き付いたことがあったのだろう。かっこよくいえば、世界を視野に入れた社会派くんだったのだ。

 阪神大震災にもいたく興味を示していたので、お父さんが連れて行っている。その後、震災関係の本を数冊ねだったので、買ってあげることになり、よく目を通していた。

 私の実家にあった「初代人生ゲーム」に夢中になり、4歳にしてルーレットの面白さに目覚めた。彼のバクチ好き(でも真面目で堅実なので紙上のみ・・・たぶん)は、このときから始まったのかもしれない。

 しかし、毎日「人生ゲーム」を複数回、付き合わされていた家族は、まさか1年間これが続くことになろうとは、そのときには夢にも思っていなかった。人数が足りない時には、当時、まだ私のお腹のなかにいたKちゃんまで駆り出されていたのだ。あまりにも彼以外の家族が「人生ゲーム」に食傷していたので、たまに「JRゲーム」が登場すると、みんなとても嬉しそうだったっけ。

 幼い彼が一度つまらなそうに、「なんか面白いことないかな〜」とつぶやいていた時があった。

 普段は温厚な(?)私が、「面白いことなんか、自分で見つけんでどうする!」と怒ったことがあったけど、その後は「面白いこと」を、自分でガンガン見つけてくれている。

 もっともバックには、私以外の家族の惜しみない愛情と理解と協力があったことは言うまでもない。過剰すぎるくらいにね(笑)