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紙魚子の小部屋 パート2 plus はてな版 (2009年9月〜)

平凡な主婦の日常と非日常なおでかけ記録、テレビやラジオや読書の感想文、家族のスクープなどを書いています。

紙魚子(しみこ)のおでかけのあれこれ、ユニークな家族、節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物などを書いています。

佐野洋子さん死去

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 最近、妙に佐野洋子さんのことがよく、頭をよぎった。T君がおなかにいたとき、定期検診の待合室での待ち時間に、彼女のエッセイを読んでいたなあ、とか。

 

 最初に彼女の文章を読んだのは、まだ不定期刊行だった頃の、手作り感溢れる黎明期の『本の雑誌』(編集長はもちろん椎名誠)だったっけ。その頃のこの雑誌の人気エッセイは、群ようこ(まだ無名で著書もなかった)&佐野洋子で、三角窓口という読者投稿欄では「Wヨーコ」と呼ばれていた。それはたぶん、「アカシア・からたち・麦畑」としてまとめられていると思う。

 それから薄い文庫本の『私の猫たち許してほしい』というエッセイ集で、頭を殴られたくらいの衝撃をうける。彼女のストレートに正直な文章が、すごい勢いでハートを直撃したのだった。

 近々では(といっても2003年だ!)『神も仏もありませぬ』を読み、「この人はエッセイの頂点を極めた!」と確信する。これを読んだあとに出た彼女のエッセイは、もう読みたくないくらいだったから。

 久々にショックな死亡記事で、しばらく呆然としていた。でも彼女の死亡記事の後ろに少し小さく「ミイラの研究家 桜井清彦さん死去」とあったのが、なんだかちょっと可笑しかった。

 でも佐野洋子さんは、2008年には、すでに乳がんで余命2年であることをご存知で、残りの人生を、きっと残りの人生だからこそ、充実して生きられたのではないのかな、と想像してしまうのです。あの佐野洋子さんだったら、きっと。

 ご冥福をお祈りします、という言葉は、なんだか佐野洋子さんには似つかわしくない気がする。佐野さんは今頃、もしかするといろんなものから解き放たれたところにいるのかもしれない。