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紙魚子の小部屋 パート2 plus はてな版 (2009年9月〜)

平凡な主婦の日常と非日常なおでかけ記録、テレビやラジオや読書の感想文、家族のスクープなどを書いています。

紙魚子(しみこ)のおでかけのあれこれ、ユニークな家族、節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物などを書いています。

福山/龍馬のお言葉

以前の記事「紙魚子の小部屋」は下のリンク集から読めます。

 大河ドラマ龍馬伝』のHPを見ていたら、いよいよ福山雅治さんのラストメッセージがアップされていた。今さらながらだけど、あ〜なるほどな〜、と思った個所があったので、メモがてらに引用↓

自分も大人になって思いますが、これだけいろいろな情報が手に入りやすくなると、情報を集めることだけに終始し自分で決断をしなくなるなと思います。決断することを恐れるようになるのではないでしょうか?

きっと龍馬さんは、田舎者で、子どもで、世の中のことを何も知らなかったからこそ、「このままじゃいかん、日本を変えるんだ」と思えたのだと思います。いろいろな情報を知っていたら、「変えられない、そんな大変なことはできるはずない」と考えたのではないでしょうか?

自分自身も18歳で長崎から「ミュージシャンになりたい」と東京に出て来ました。運よく事務所のオーディションに受かって、「ぼくは音楽をやりたい」と言ったら、「どんな音楽をしたいのか知りたいから曲を持って来て」と言われたんです。そのときに、初めて気づきました。「曲、ない!そう言えばおれ、曲持ってない!」って(笑)。

振り返ると、ばかだったなと自分のことを思いますが、逆にそれくらいじゃないとダメなのかもしれない。

音楽をやるなら、音大に行って音楽的知識や教養も身につけ譜面も書け、理論的なことを知っていたほうがいい、そうぼくが考えていたら、きっと曲は作れなかったと思う。

まずその理論に縛られてしまって、理論を超えることは出来ない。もちろん理論を壊したり、突き破ったり、それを超えている人はいますが、ぼくは知らないところからスタートしたから、いろいろなことを知ることができたと思っています。

それは、龍馬さんや当時の勤王党の志士たちも同じではないでしょうか?いろいろな情報を知り過ぎなかった、だからこそ強い気持ちを持てたと思います。「人間、知り過ぎるとダメだな」と今回改めて思いました。

 現実的には「情報を持ったもん勝ち」な風潮の世の中だけど、中途半端な金儲けや目先のトクだけに通用するだけの話なのかも。

 確かに真っ白な方が、「見える」ところはあるよね。なまじ知識があると、身動きがとれなかったりするよね。これって、ある程度年を重ねて来たからこそ、この話に深く共感できるのかもしれない。

 しかし曲を持たずに「音楽をやりたい!」と上京した福山さんは、さすが龍馬に抜擢されただけの人のことはあるなあ〜。(そういえば武満徹さんだって、専門的な勉強をした人ではなかったと記憶している。貧乏で紙ピアノを弾いていたし)

 やっぱり大物!