無敵、法然。
法然上人が残されたものはあまりない。像や絵姿、法然上人の遺品などを集めても、展覧会ができるほどの品数には至らなかったのだろう。だから関連するものたちを、学芸員の方々は調べて集めたのだと思う。
たとえば、善導(ぜんどう)大師。彼は中国唐時代の僧で、浄土教の大成者だ。法然は、善導が著した『観経疏(かんぎょうしょ)』に出会って心の師とし、専修念仏を確立した。
たとえば、恵心僧都源信。『往生要集』の著者であり、浄土/お念仏系仏教の源流でもある人だ。
それから来迎図もたくさんあった。「阿弥陀二十五菩薩来迎図(早来迎)」とか「山越え阿弥陀図」とか有名どころも見る事ができた。
そのなかで恵心僧都源信が、当時、中国で大流行の14分割(定かではないが)された極楽図を日本に持ち帰り、それを日々眺めて極楽をイメージトレーニングしていた、という解説がかなりツボにはまってしまった。
極楽をイメージトレーニング!!
その絵はバックが黒で仏様たちが金、しかも光のオビがまっすぐではなく不思議な曲線を描いていたりする。かなりシュールな極楽の絵なのだ。それで極楽をイメージするというのは・・・私には無理、絶対、という感じだ。やはり高僧となれば、人間の桁がちがうのだろう。
法然の教えは旧仏教派から、「修行もしないで念仏だけで極楽往生できるなど言語道断!!」という怒りの批判が殺到したらしい。それで法然は法難をうけ、島流しになったりして、不遇の時代をすごすことになってしまうのだが、晩年には許され京都の庵に戻る事ができた。
その批判者たちも法然の死後には、後悔したひとたちもいて、死後77日の法要の導師を買って出たり、批判のために読んだ法然の(お経を)編集した『選択本願念仏集(せんちゃくほんがんねんぶつしゅう)』に感じ入り続編を書いた人もいるらしい。
批判者ですら(それも自分の死後に)懐柔してしまうとは、さすが法然である。
そんなこんなで出口を出て、ミュージアムショップのグッズやいかに、といやがおうにも期待は高まる。一体『法然』をテーマに何を売ろうというのか?
一応「限定販売」とは銘打っているが、数珠や線香や蝋燭など仏事グッズ、「HONEN」という横文字に来迎図をデザインしたTシャツやトートバッグ、クリアファイルや文具などが、やはり主流だった。やっぱり、というか、なるほど、というべきか。
でもだがしかし。これで終わりかとちょっとがっかりした私は、法然のカリスマ性をまだ思い知ってはいなかったのだ。『法然展』を観たにも関わらず、まだまだ甘くみていたのだ。会場を出た後、最後の最後に、現代も依然カリスマ性を発揮する法然の底力を見せつけられることとなる。
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海洋堂も悩んだのではないだろうか。いやもしかすると千載一遇のチャンスとみて、嬉々として作られたのだろうか。というか、なかなかなお値段なのだが、売れているのだろうか?
どんな人たちが購入するのか? 熱心な浄土宗の信者の方々なのだろうか? もしかしたらフィギュアに抵抗感がない層と世代交代しているのかもしれない。
法然、恐るべし。向かう所敵なしだ。