以前の「紙魚子の小部屋 パート2」はこちらhttp://blog.ap.teacup.com/tanukitei/から、 その前の「紙魚子の小部屋」はこちらhttp://ivory.ap.teacup.com/tanukitei/から。

紙魚子の小部屋 パート2 plus はてな版 (2009年9月〜)

平凡な主婦の日常と非日常なおでかけ記録、テレビやラジオや読書の感想文、家族のスクープなどを書いています。

紙魚子(しみこ)のおでかけのあれこれ、ユニークな家族、節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物などを書いています。

双葉ばら園

以前の記事「紙魚子の小部屋」は下のリンク集から読めます。

「双葉ばら園」は、美しい私設バラ園だ。薔薇について検索をかけていたとき、たまたまウェブ上で美しいバラ園をみつけたので、HP上をくまなく拝見してみたのだ。丁寧に手入れされた庭園と数々の薔薇。その園の沿革史を読んで、胸が張り裂けそうになった。最後の章を引用する。

第六章 今後の躍進

 当園はリピーターの方々が大変多い、よく声を掛けられる「来るたびに良くなるね・・・」と、ありがたい言葉である。これからも心癒されるバラ園を造っていこうと。

 振り返ればオープン以来今年で40年になるが、急がず、焦らずバラ園造りに汗を流してきた。今度はまだ三分の一のバラ園計画地が残っている。構想はできている、自然・緑・空間を取り入れ落ち着いた雰囲気の「森に沈むバラ園」を完成させたいと思っている。だが、焦る時もある。そんなときは知人が言ってくれた言葉を思い出す。「イギリスやフランスの名庭園は百年掛けて造ったのだから・・・」と・・・。

 沿革によれば、趣味でバラ造りを始めるようになった若い日の園主は、しかし昭和の半ばのこと、手入れの仕方もわからず、バラ作りの本すら田舎には見当たらなかった。そんなある日、新聞広告で「バラ12ヶ月」という本を発見。早速出版社から取り寄せる。そんな基本的なところからのスタートだった。

 少しずつ丹誠込めたバラは毎年2、3本ずつ増やし、やがて70株のちいさなバラ園ができる。その頃、お父様より「バラ園をつくろう」と提案され、本格的なバラ園を開始することになる。

 土地は広大なものをお持ちだったようで、自ら庭の設計もされ、バラづくしのバラ園がオープンとなる。突如田舎に出現したロマンチック空間に、当時は大人気を博したらしい。が、当の園主は「これでは単なるバラ畑」と物足りず、さまざまなバラ園を見学する。何が足りないのか? どうすれば満足できる「バラ園」ができるのか。

 とある関東のバラ園にて、園主は天啓を得る。「空間」「緑」、これだ!

 周囲の山々の借景を頂きながら、という壮大なスケールのイメージで、ふたたび手作りのバラ庭園づくりが始まる。土地が広いため、ポールやアーチ等では立体感が乏しい。試行錯誤の末、ヒマラヤスギやコニファー等を植樹する。バラを植栽する所以外は全面芝生を敷き詰めて緑の空間をつくる。

 庭木は植樹したばかりなので、樹木は貧弱に見える。「もっとバラを植えたら」というお客さんたちのリクエストにも、「10年、20年先の樹木の生長をみこして『必ずや心が癒されるバラ庭園』になる」という信念をお持ちだったようだ。

 平成に入り、彼の夢はより膨らむ。以下は沿革より引用↓

 そして1994年(平成6年)以前から心に秘めていた『原生種からモダンローズに至るまでのバラの歴史を辿るバラ園』を造ろうと考えた。その頃の国内ではでは原種やオールドローズ等の品種の数も少なく苗木も入手困難たった。

 イギリスのピーター・ビーズル社から直輸入し1996年(平成8年)に『オールドローズの小径(こみち)』を完成。そして2005年(平成17年)に世界の原種、野生種の『野ばらの小径(こみち)』も完成しました。

 入園口から入ると野バラと出会ってオールドローズの小径に入り、19世紀頃のヨーロッパの貴婦人を想いはせながら香りを楽しみ、そしてモダンローズと進めばバラの歴史の流れがわかると思う。

 なんて素敵なバラ園だろうか。

 だが今年は誰も、このバラ園を訪れることはできない。園主でさえ。

 このバラ園は福島県双葉町にあり、福島第一原子力発電所のごく近くに位置している。ご存知のとおり双葉町は、震災後、町全体が避難した地区である。

 

  園主は庭職人の手を借りず、さまざまなバラ園を見て回り、こつこつと一から手作りされて理想のバラ園を作ってこられた。40年以上の歳月をかけて。園主の胸のうちはどんなだろうか。

 幸いにして、園主のご家族は皆ご無事で、身を寄せる場所もある。青春時代から自分の夢を追って、それを半ば以上実現できたのだからいいじゃないか、家族が全員無事なら幸せじゃないかという声もあるだろうが、一途に薔薇に恋をし、生涯を薔薇に捧げるというロマンチックな仕事をなされた途上だったのに、その全てが。

 

 しかし多くの双葉ばら園のファンが、またバラに関わる方々が、双葉バラ園復興に向けての支援をしたいと申し出ていらっしゃるそうだ。壮大な夢を実現した園主の、バラに恋する気持ちはまた、人の心をつないで行ったのだ。それはまた一巡して園主、岡田さんの第2の人生の第一歩を後押ししてくれることだろう。

 バラ園復興を心からお祈りしています。