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紙魚子の小部屋 パート2 plus はてな版 (2009年9月〜)

平凡な主婦の日常と非日常なおでかけ記録、テレビやラジオや読書の感想文、家族のスクープなどを書いています。

紙魚子(しみこ)のおでかけのあれこれ、ユニークな家族、節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物などを書いています。

江戸の敵は長崎で

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 先日、何回目かの洗濯物を干していると、つけっぱなしのラジオから鮮烈に懐かしい音楽が流れてきた。ジョンだ! ジョン・デンバーだ。ラジオで彼の小特集をして、久しぶりに数曲聞くことができた。

 まるで10代に舞い戻って、心がきらきらして、山からの風が吹き抜けるようだった。

 私たちの世代でジョンといえば、ほとんどはビートルズジョン・レノンなのだが、私はひたすらジョン・デンバーだった。他にもエルトン・ジョンとかオリビア・ニュートン・ジョンとかいるけどね。

 いまから思えば、ほとんど信仰のようだった。

 中学生から高校生にかけて、毎日ジョンのレコードを聴いていた。お年玉などでまとまったお金がはいってくるかして、2500円たまったら、草津西友のレコード売り場に行っては、レコードを買っていたのだ。狂信に近い信仰(いや狂信そのものかも!)なので、ほとんどの彼のレコードは持っていた。

 彼に関する情報は集めまくり、音楽雑誌にあったポートレイトのページを切り取って、透明でファイル状になっている下敷きに入れて大切にしていた。彼に関する記事が有るというだけで、『メンズクラブ』みたいな男性雑誌も買っていた。十字屋で見つけた英文の薄い冊子やギターの楽譜まで買ったりした(結局ギターは弾けなかったけど)。ほとんど精神的ストーカーのようだった。

 彼が来日したときには、ほんとに武道館まで行きたくて行きたくて、どんなにほぞを噛んだことか。さすがに高校生の当時は、東京までひとりで行くのはムリだった。大学生だったらまた話は違っていただろうけど。

 そんなふうに、私の10代の時代は、ジョン・デンバーに捧げられていたのである。

 ただし彼が全てではなく、他にも熱狂していたものたち、人たちはたくさんいた。そんなプリズムのように分散した若いエネルギーは、残念ながら勉強方面には発揮されず仕舞だったのである(実のところ、そんなに残念には思っていない。好きなことをするのが一番身につくというのは、Tくんが証明している)。

 で、私がジョンの歌声に打ち震えた日は、奇しくもKちゃんが彼女の最愛の福山雅治さんのコンサートに初めて行った日なのだった。

 最初、彼女は行くかどうしようか迷っていたのだが、「高校生がコンサートくらい行かなくてどうする!」と喝を入れたのが私である。彼女は見たことも無いほどゴキゲンで帰宅した。

 そして私は、江戸の敵を長崎でうった気分なのだった。