天竺にて
天竺での『無遮大施』という施し三昧な祭典がすごい。富んでいる者たちが、金品、衣服、食物などあらいざらい施しまくる祭典なのだ。
戒日王(ハルシャ・ヴァルダナ)という王様が、着ていた衣服を脱いで僧侶に施すんだけど、上半身裸の王様は、ちょっと「いやーん」とはにかんでいる様子が、なんだか可笑しい(いや、ほんとうなら感動するべき場面!)
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場面は変わって。
小乗仏教派のバラモンが、論争を吹っかける質問状を門に貼るのだけど、玄奘は無視したあげくに破棄する。蛇足ながら、玄奘は大乗仏教の人だ。
しかもバラモンたら、相手が玄奘とわかるや沈黙を決め込むほかない。あげく、玄奘に突きつけた問題をすべて論破されてしまうし。
でも張り紙の質問状については、自信満々だったみたいで、すべて論破されたら殺されてもいいと、どうもこのバラモンは言ってたみたいだった。論破されてしまったバラモンは「いさぎよく死んでやるから、殺してくれ」と、どう転んでも物騒なやつなのだった。
しかしさすが玄奘。論破されてすでに辱められたのだから、もういいじゃないですか。こうしてバラモンは玄奘の僕となるも、玄奘のたっての願い出によってバラモンが玄奘に小乗を教えることとなる。という場面に出て来る玄奘の不思議な僕(??)ふたり↓
黄色っぽい服の人は、ヒョウ柄(!?)のケープをまとい、緑っぽい服のひとは、アクセサリー付き。なんとヒモネックレスのペンダントトップはドクロ! しかも前後にひとつずつ!!
この、ドクロのひとは、なかなかキャラが立っていて、玄奘がバラモンの質問状を破り捨てたときには「そんなことして、大丈夫なんですかぁ〜!?」的な表情をし、バラモンを論破したときには「さすがぁ、玄奘先生!」と得意げだし、玄奘がバラモンに寛大に接するときには、「よかったね!バラモン!」と幸せそうに微笑んだりしている。いいひとなのだ。いいひとだけど、前後にドクロ。う〜ん、ナゾすぎる。
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ふたたび場面は変わり、中国に帰国することを願い出る玄奘。周囲の大反対の合唱のなか、師の戒賢だけは玄奘の菩薩心に感激し、喜んで快諾する。という重要なシーンなのだけれど。
この絵です↑
実物を見たとき、コケかけました。
そう、この橋です! 手足、おまけに顔までついたヌリカベのような橋! 絵師、こんなに遊んでいていいのか? 鎌倉時代にはこういうの、許されていたのか? それともウケる絵が必要だった時代なのか? それもけっこう重要なシーンに。
遊びといえば。
別のシーンだけど、山の中の樹々になかに一本、こっそりと蛇を絡ませている絵とかもあったぞ。木の幹と同じ色で落書きのようになにげなく描いてあったから、うっかりスルーしちゃいそうだけど。家政婦は見た。紙魚子も見た。
絵巻だから、ものすごく細かい絵で、人も豆粒のようなのに、ひとりひとりの表情がいきいきとしている。キャラも立っている。ファッションも丁寧にプリント模様まで描かれている。たいへんな手仕事だ。
不真面目なのか、真面目なのか。鎌倉時代、おそるべし。