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紙魚子の小部屋 パート2 plus はてな版 (2009年9月〜)

平凡な主婦の日常と非日常なおでかけ記録、テレビやラジオや読書の感想文、家族のスクープなどを書いています。

紙魚子(しみこ)のおでかけのあれこれ、ユニークな家族、節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物などを書いています。

敬老の日に

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 昨日は、Kちゃんの学校が余裕で休校になるほど大きな台風が通過した。

 午前中の早いうちに西友で買い物を済ませ、お昼前後の雨風がひどい時間帯は家に籠っていた。

 雨が小降りになり少し明るくなってきた3時頃を見計らって、待ちかねていた堀文子さんの本を借りるために、図書館にGO! 取り置きでなく棚にある本だから、一足ちがいで貸出しされるかもしれずドキドキだったけど、小さな黒い本はひっそりとちんまりと、棚の中にあって一安心。

 敬老の日NHK総合であった『ヒューマンドキュメンタリー「画家・堀文子 93歳の決意」』を見て、あらためて彼女が大好きになったのだ。

 番組はこんなふうに紹介されている↓(NHKの番組表より)

 「群れない、慣れない、頼らない」生き方を貫き通し、93歳になった今も情熱とチャレンジ精神で新作に挑む日本画家・堀文子。時代に流されず、お仕着せの常識や権威にくみせず、自分自身の価値観と美意識を追求し続けてきた生き方が今、世代を越えて多くの人々の憧憬を集め、孤独を恐れずに自由を求めるその言葉は、人々に勇気を与えている。

 43歳のとき彼女の理解者だった夫と死別した後、あてのない世界放浪の旅に。3年間である。振り返って彼女はしみじみという。

「若さよねえ。あのときは若かったから、できたことよねえ」

 それを聞いた戸井十月氏、「若い、っていっても、すでに43ですよ!!」

あきれ顔である(笑)

 いやいや彼女は82歳にして、幻の高山植物ブルーポピーを求め、ヒマラヤ山脈の高地を走破したりもしているのだ。ヒマラヤに行ったときの半分の年齢だから、よけいに自分では43歳の若さを実感したのだろう。

 本当は科学者になりたかったそうだ。自然が大好きで虫や植物に興味津々の少女だったらしい。いまでもミジンコに夢中だ。だけど、科学者の世界にいても女である自分にはハンデがありすぎる。大成することはむずかしいだろう。実力の話ではなく、システムの部分で。現代の話ではない。なんといっても関東大震災や2・26事件の頃の話だ。

 だったら、女でも実力だけでやっていける世界は? とさんざん考えた末に彼女が出した結論が「美術」だった。「美」という世界には男も女もないだろう。しかも画壇とは無縁、権威にも賞にも派閥にも興味無し。男兄弟が早くに亡くなったので家族の生活を支えつつ、ひたすら自分の目指す絵を描いていた。

 83歳で大病をし、生死の境をさまよった後生還する。身体は不自由になって取材に出かけることは無理になった。それでも持ち前の好奇心と柔らかな感受性は衰えること無く、顕微鏡の中のミジンコに命の根源を見いだし、日々夢中だったりする。ミジンコに夢中の堀さんは、すごいかわいいのだ。

 「死は私の中にあるの。私の中の死がだんだん大きくなっていくのがわかるの。自分の中に死があることがわかったらなんだか安心して、とても穏やかな気持ちになったわ」

 90を越えるとさらに新たな世界が見えるようだ。90を越えるとまったく世界が違って見えるという話は、別の人もどこかで言っていたっけ。長生きはするものである。

 なんだか久しぶりに「豪傑」と呼べる爽快な人をみた気がする。「女傑」という言葉もあるが、彼女の場合は「豪傑」の方がふさわしい気がする。現在たちこめているもやもやとした灰色の雲を一掃してくれるような、「老を敬う」というにふさわしい番組だった。