極楽は温泉の中に
10月になったからか、なんだか焦る。焦るあまり、おでかけの日々になってしまった。だけど焦っちゃいけない。自分のペースを守ることを今年の信条にしているから。
とはいえ、実はネタがありすぎて困る。『カーネーション』の感想とか、今日行った『木川かえる展』とか、日牟礼八幡宮の華麗に装飾された山門の紹介とか、地元の神社に出かけた話とか。今年になってからとんでいるネタがいくつもある気がする。専業主婦がまさかこんなにネタの多い生活になるとは、予想外だった。
今日のところは、昨日京都の円町に行った話にしておこう。京都といってもJR京都駅から嵯峨野山陰線に乗り換えて3番目の円町駅だ。二条のひとつ向こうである。(いま気づいたけど、「えんまち」って「えんま」に近い語感だ)
京都市のカルチャースクールの講座の一つに、「極楽往生」についての講座があったのだ。先日の歴史ウォーク、「閻魔王庁の裁判制度」の話をしてくださった小嶋一郎先生のお話である。今度は同じ冥土でも「極楽」の話。「地獄の話を聞いたら、極楽の話を聞いてバランスとらないと」というのもあり、ちょっと遠いけど、一回だけ思い切って申し込んでみた。かねてから憧れだった即成院の二十五菩薩お練り供養に初見参の予習でもある。
場所は京都市の生涯学習センターだ。ずっと前に落語作家である「くまざわあかね」さんの、昭和10年の暮らし体験談を聞きにいった場所なので、初めてではない。
もっとも前回は長机を前に、小振りな教室で、少人数でゆったりだった。なのに今回はスクリーンのある大きめの視聴覚室、一人用のミニ机付き椅子がきちきちに入って、えらく窮屈だった。間10分の休憩があるとはいえ、120分の長丁場は、やや辛かったかも。お話自体はたいへん興味深く、面白かったのだけれど。
10月の京都の歳時記ともなっている仏事、即成院の二十五菩薩お練り供養見聞記から始まり、即成院と那須与一との縁、阿弥陀如来について、観無量寿経曼荼羅について、来迎の9つあるランクについて、など。
観無量寿経というお経の中には、極楽の様子について描かれている。食べたいもの、着たいものを思い浮かべれば、即座に目の前にやってくる何不自由ない生活。阿弥陀様の有り難いお説教が聞ける法悦の世界。
うーん、だけどなんだかそれはつまらないな。といって地獄に行きたい訳ではないけど、と急いで付け足す。
やっぱり小嶋先生の鋭い比喩のとおり、極楽より地獄の方がテーマパークなんだ。楽しくはないにしてもね。
おじいちゃんが温泉にいったとき、おもわず口にする「極楽、極楽」というシチュエーションの方が、よっぽど極楽気分かも。
私にとっての目新しい仏教知識としては、仏の数だけ「浄土」があるという話。「浄土」のなかにすべての仏様がいらっしゃるものだと思っていたけど、そうではなくて悟りを開くと、死後にはどうやら自分だけの国を持てるらしいのだ。
仏国浄土ともいわれる「(西方)極楽浄土」は、阿弥陀如来さまの浄土ということになっている。他にはたとえば、薬師如来の「東方浄瑠璃浄土」、阿閦(あしゅく)仏の「東方妙喜世界」、釈迦仏の「西方無勝世界」などというものがあるそうだ。
悟りを開くと一国一城(いや、城ではないが)の主になれるとは知らなかったなあ。
それから即成院の二十五菩薩お練り供養で菩薩役の方がつけるキンピカのお面について。菩薩役にはお子様もいらっしゃるので、さぞ重かろうとしんぱいしていたのだ。が、あのキンピカのお面はなんと和紙で造ってあるとか。
そうかあ〜、和紙なら重さの心配はないな。スライドで見た感じでは、サイズが問題になるくらいかな。やや顔がはみ出している人もいたので、こまわり君にはきっと難しいだろう(いや面接の時点でアウトか)