大正に生まれた女
『カーネーション』第1週の感想。
主人公の小原糸子(少女時代)は、自分が女であるばかりに、大好きなだんじりにも乗れず、大工にもなれず、家の仕事を継ぐこともできず、力では男にかなわずで、すっかりしょんぼりしてしまう。
女は大人になったら、家の中ばっかりで、イワシばっかり炊いて、男に怒られてばっかりや。女なんてしょーもない、「いやや、いやや」と絶望するのだけど、「なんかおもろいこと考えな」と気持ちを切り替えて、夢のような「ドレス」の絵を描いて妹たちに見せ、説明する。(このときはまだドレスのことを「どれむ」だと思い込んでいる)
絵を描く時に、ドレスのフレアとかタックのとってある裾部分を、「ここが、『ひよひよひよ〜』て、なっててな」と妹たちに説明するのが、かなり可笑しかった。
「ひよひよひよ〜」!
ぴったりのオノマトペじゃありませんか!
他にも小林薫演じる糸子の父も「しゃーっ」とか「ぱーっ」とか「ビュー」とか勢いのある擬態語をいっぱい使うのだ。このドラマでの擬態語と擬音語は、心に豪速球のストライクを叩き込まれるように爽快だ。ときには変化球だったりするけど、必ず決まる。
それから見どころは父娘の根っこが太い愛情と、深い信頼関係だ。
やっと11歳くらいの娘に、自分が取れなかった集金をさせる、ちょっと情けない父親なんだけど、糸子はお父さんが大好きだから、頼られるのがものすごくうれしい。しかも集金をして大得意で喜びではちきれんばかりに凱旋し、迎えにきてくれた父親に娘がハグ!ハグ!の嵐なんだから、小林父だってそりゃうれしい。
父は糸子が女なのを残念がり、男と張り合うことを戒めるけど、糸子はけっして「おとうちゃんなんか、大嫌い!」とは言わない。彼女がオトナなのかもしれないし、器量が大きいのかもしれない。もしくは本能的に好きな人を不快にさせたくないと思っているのかもしれない。とはいえ、父の言葉に納得したのではなさそうだ。
彼女は今後、自分の夢を執念深く追い求めるのだろうけれど、そのためにまず父親の反対を突破しなくちゃいけないのだけれど、だからといってそのために父親を傷つけることはないような気がする。
策を弄するのではなく、相手を批判することなく、真っ正面から父親に向き合い、誠心誠意、だけどしつこく説得していくのでは。
潔くパワフルに自力で。
彼女と似たようなひと、最近どこかでみたなあ、と考えてみたら、そうそう堀文子さんも大正生まれだったよね。大正生まれの女(ひと)の生き方こそが「あこがれ」なのかも。
P.S. 朝の連続ドラマにあるまじき(笑)ひろがりのある映像美は、大河の『龍馬伝』と同じカメラ使いだとか。なるほどなぁ〜、この光の入れ方、とうてい朝のドラマの映像じゃないよ!
男勝りで元気な糸子とは正反対な「おかあさん」、千代さんを見る度に、自分をみているような妙な気分に(笑) そういえば私も娘とは正反対の性格だし。だんじり祭りのチョー忙しい台所仕事のときに、「あ・・・おたまはどこへいったんやろ〜?」とのんびりつぶやいている後ろで、お姑さんがこっそり「だめだこりゃ」な表情をするシーンに、ものすごいシンパシーを感じたし。その後もますます糸子のお母さん、千代さんに感情移入しまくり(笑) 千代さんからも目が離せません!