『負けんとき』
なんだか関節が痛くて熱っぽい。そういえば『日吉の神と祭』を見に行った翌日もそうだったっけ。『神仏います近江』を見に行くたびに、寝込むくらい調子がわるくなるのは、何故? 神仏あたりか?? 知恵熱ならぬ神仏熱。辛いが『ありがたい』ことなのだと思っておこう。
それで待ちに待った小説が、やっと出た。玉岡かおるさんの『負けんとき ーヴォーリズ満喜子の種まく日々ー』上下巻だ。新潮社のHPによる内容では↓
近江八幡でキリスト教を伝道し、メンソレータムを日本に普及させ、神戸女学院、大阪大丸、山の上ホテル、軽井沢ユニオンチャーチなど数々の西洋建築を残したアメリカ人メレル・ヴォーリズ。彼の生涯の伴侶となった播州小野藩最後の大名の娘・一柳満喜子の逆境に立ち向かう道のりと、二人の愛に満ちた生涯を描く書下ろし大作。
いままで一柳満喜子先生についての評伝がなかったのが不思議だったのだけど、やっと玉岡かおるさんによって、彼女の波瀾万丈でユニークな人生が一望され、あまねく知れることになった。ほっとした。
これは誰かがしないといけない仕事だとずっと思っていたけれど、メジャーな作家である玉岡さんによってなされ、メジャーな新潮社から出版されたのだから、あとは内容だけだな。それが一番の問題だけどね。
満喜子先生は、私の幼稚園時代の園長先生で、そのころは80を過ぎておられたのに背筋もまっすぐで、いつもシックできちんとした服装をされ、自分のことばで明瞭なお話をされ、威厳にあふれ、幼稚園児をも吸引するオーラに満ち満ちておられた(笑)
万年ぼんやりだった私は、担任の先生のいわれることなど、右から左に抜けていたのだが、満喜子先生が前に立たれてお話をされるときには、全身これ耳にして全力で聞いた。それだけ必死だったのに、話の内容を覚えていないことが、残念だ。耳に力を集中し過ぎ、記憶に残すためのパワーを使い果たしたのかもしれない。
私はブランコも滑り台も恐怖の対象だったので、休み時間も園庭にでて元気に遊ぶことはしなかった。それより玄関近くの園長室の戸口で、開け放されたドアから、執務をされている園長先生の背中を見るのが好きだった。なぜだったのだろう。それはいまだに目の前に浮かんでくるほど鮮明に記憶している。たぶん、眺めているだけでなんともいえない安心感のある、そしてとんでもなくカッコイイ後ろ姿だったのだと思う。幼稚園でみそっかすだった私は(だって3月生まれのハンデを持っている)、できないことが多すぎて凹むことがいっぱいだったのだ。
べつに声をかけられた記憶も、目に留めてもらった記憶もないけれど、特別な人だった。その人の評伝がやっと世に出て、なんだかとてもほっとした。玉岡かおるさん、どうもありがとう。