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紙魚子の小部屋 パート2 plus はてな版 (2009年9月〜)

平凡な主婦の日常と非日常なおでかけ記録、テレビやラジオや読書の感想文、家族のスクープなどを書いています。

紙魚子(しみこ)のおでかけのあれこれ、ユニークな家族、節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物などを書いています。

国防婦人会的

以前の記事「紙魚子の小部屋」は下のリンク集から読めます。

 『カーネーション』では悪意溢れる描かれ方をされた、国防婦人会のおばはんたちについて。

 以前は選挙の立候補者のように仰々しい「たすきがけ」だったのに、戦況が悪化してからは安倍晴明の五芒星かユダヤの星か、みたいな布製のちいさなバッヂ??になっていたっけ。布地の節約だろうか?

 でもきっと彼女らは正義感あふれる方々なのだ。正義、勇気、勝利への希望を失わず日本人は一致団結して戦いましょう!という気概をお持ちなのだ。悪い人たちではない。むしろ平時にはおせっかいなくらい、いいおばはんかもしれない。

 今年の春に田口ランディさんのブログだかエッセイだかをみていたら、震災後、彼女の義父が「日本をひとつに」みたいなフレーズは、戦争中を思い出してしまうので嫌だ、というようなことをおっしゃっていたらしい。それについてランディさんは「そうなの? わたしはよくわからない」って書いてらしたけど。

 それで私は、「日本をひとつに」というスローガンの居心地の悪さや気持ち悪さが、やっとわかった気がして、ああ、そうだったんだ・・・と腑に落ちた。戦争体験はないが、読書やテレビドラマによる疑似体験は子ども時代に浴びるほどした。

 日本人が一丸となって復興を目指す。それはもちろん戦争とは違うし、それが正義だというのはわかるのだけど、なんだか気乗りがしない。

 いやいや、「ひとつ」ではないのだ。復興への道のりは、ばらばらでいい。地域も人々のニーズも、将来の希望も、みんな違う。故郷に戻る、戻りたくない、あきらめる、あきらめないと、様々だ。元通りやいままでどおりではなく、よりよく再編成するのがこれからの仕事だ。

 

 今一番団結してパワフルで即時即戦しているのが、ちいさな子どもたちをもつお母さんたちだ。そりゃそうだろう、いますぐしなきゃいけないことが山積しているのだから。いま一番負荷がかかっている日本人なんだもの。しかも子育ては待った無し。

 でもちいさなお子さんのお母さんはチョー多忙なので、ひとりじゃ活動するのはとてもムリ。それこそ「経済」(損得)抜きの相互扶助で助け合っていらっしゃるに違いない。それぞれの家庭の事情もさまざまなので、その辺りも考慮して臨機応変に、できるひとができることを。一丸ではなく、それぞれに。

 

 きっと日本はお母さんたちから変わるだろうし、そこから変えなきゃいけない。こどもたちは、比喩でなく未来そのものだから。一様にではなく、それぞれが幸せになるように。