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紙魚子の小部屋 パート2 plus はてな版 (2009年9月〜)

平凡な主婦の日常と非日常なおでかけ記録、テレビやラジオや読書の感想文、家族のスクープなどを書いています。

紙魚子(しみこ)のおでかけのあれこれ、ユニークな家族、節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物などを書いています。

クリスマスブーツの思い出

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 明日は冬至なので、これから柚子を収穫して配布しなければならない。H氏の命では予定数は100個。おもわず小草若©ちりとてちん』を思い出す。我家の年中行事のひとつだ。今年は「なり年」なので、すずなり状態だから、確かに100個は無理ではないな。

 しかし気分は冬至を通り越してクリスマスだ。最近は寄る年波で、子どもの頃のことをよく思い出す。

 近江兄弟社を起こし、アットホームでお茶目な建築家であるW・メリル・ヴォーリズさんは、近江八幡がホームグラウンドだ。同郷であるばかりか、彼の妻が創立者である幼稚園に通っていた私には、クリスマスはめまいがするほど心ときめくイベントだった。ヴォーリズさんはまた、敬虔なクリスチャンでありキリスト教の布教につとめただけあって、近江八幡は田舎ながら、商店街ではクリスマスグッズなども販売されていた。

 そんななか、ひときわ子供心をときめかせたのは、銀色のクリスマスブーツだ。ブーツに入りきらなくて上部が網になり、お菓子が溢れている魅惑の季節限定詰め合わせである。

 調べてみれば、なんとクリスマスブーツのルーツは季節商品容器製造業の近商物産(滋賀県草津市)にあるという。戦後まもなく初代社長が「クリスマス用に銀紙を巻いた紙のブーツに菓子を入れたら売れるのではないか」と発案し、大手菓子メーカーを回ったのが始まりらしいのだ。

 さすがは近江商人!! おそるべき商才だ。各メーカーは在庫商品も盛り込めるとあってこのブーツに自社菓子を詰めて売り出したら大ヒットしたらしい。いまもなお近商物産は、さまざまなバリエーションのクリスマスブーツを売り出している。

 その頃のクリスマスブーツは、今みたいにかわいい意匠ではなく、赤い帽子をかぶり白い定番のひげをはやしこそすれ、目つきが怪しいサンタの顔が小さくついているのだ。思い出すと、いまでもそこに痺れる。あの「プレゼント? そんなものはやれん!」とフキゲンにそっぽを向きそうな気難しいサンタ。あのサンタにどうやれば認めてもらえ、プレゼントをいただけるのかよくわからなかったが、とりあえずクリスマスプレゼントはサンタさんからではなく、父親からもらっていたので、それは別にどうでもよかった。

 それに幼稚園主催のクリスマスイベントに現れたサンタさんは、陽気で元気で楽しげなおじいさん?だったが、いただいたプレゼントは「イエス・キリストの生涯をモチーフにしたカルタ」だったので、ずいぶんガッカリしたのだ(いまならカルタコレクションが増えて逆にうれしいが)。この一件で、サンタは子どもの嗜好より自分の嗜好を押し付ける人らしいことが判明した。それよりは『オバケのQ太郎』の分厚い漫画の方がいい(安価な漫画雑誌の装丁だったが)。

 サンタさんに媚びることはなかったが、母親には違った。クリスマスブーツが欲しくて欲しくて、普段さほどおねだりしない大人しい子どもだったにも関わらず、このときばかりは控えめながら、ねだりまくった。「ねだりまくった」といっても、「こうてーな」「こうてほしいねん」と3度ばかり口にするくらいだけど。それくらい欲しかった。

 それほどまでに欲しかったブーツの中身は、見たことのないパッケージの、さほど美味しくないお菓子だった。弱小菓子会社の売れ残りがありありとわかるような有様だったけれど、それでも翌年には、やはり欲しくて欲しくて。あれがなければクリスマスは来ない!とでも思い詰めていたのかもしれない。

 もし今でも見かけたら買ってしまうかも。目つきのワルいサンタの顔が付いていて、見たことのない菓子会社のお菓子がつまった銀色のクリスマスブーツを。