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紙魚子の小部屋 パート2 plus はてな版 (2009年9月〜)

平凡な主婦の日常と非日常なおでかけ記録、テレビやラジオや読書の感想文、家族のスクープなどを書いています。

紙魚子(しみこ)のおでかけのあれこれ、ユニークな家族、節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物などを書いています。

サンタより愛をこめて。

以前の記事「紙魚子の小部屋」は下のリンク集から読めます。

 きのうの記事を書くに当たって、クリスマスのことを調べていると、面白いことがいくつも浮上してきた。

日本にクリスマスの文化が入って来たのは、1549年(天文18年)にフランシスコ・ザビエルキリスト教を布教するため日本にやって来たのがきっかけだ。

 そして1568年(永禄16年)には、堺で戦をしていた織田信長松永久秀に対し、両陣営にキリシタンがいることを知ったイエズス会士のルイス・フロイスの呼びかけによって、「クリスマス休戦」が行われたとのこと。堺の貿易商の邸宅に両陣営の武士およそ70人が集まり、ミサをした後、互いに持ち寄った料理を食べながらクリスマスを祝ったそうだ。

(日本のクリスマスの歴史(年表)|日本クリスマス博物館より)

 戦国時代に『戦場のメリークリスマス』があったなんて驚きだ! しかも宗教なんぞくそくらえの織田信長の戦でである。フロイスとは、仏教に敵対する者としての同士意識が働いたのかもしれない。

 それでは、日本で最初に『サンタクロース』が登場したのはいつなのか?

 1874年(明治7年)、東京・銀座で女学校を経営する原胤昭によって開かれたクリスマスパーティーが最初らしい。「キリスト教家庭新聞」に記載された彼の回想録によると、その時のサンタクロースは裃や刀、大森かつら(シュロを加工した安物のカツラ)をつけた殿様風のいでたちだったという。

 『とのさまサンタ』は、絵本の中の話だけではなく、史実だったなんて。裃に刀のサンタ、見てみたい気もする。

 サンタといえば、当時のプレゼントも気になる所だ。プレゼントといえば、オモチャ屋さんのかきいれ時と思いきや、いやいや知恵者はいろんな会社に棲息している。オモチャ屋さんだけに儲けさせてなるものか、とばかりに各社が知恵をしぼったことと想像される。

 なにしろプレゼントを買うのはオトナである。サンタが自分の嗜好を押し付ける人であることも、昨日書いたばかりだ。

 サンタがプレゼントをあげたい子どもは、どんな子か?

ということに着眼したのが、『株式会社ライオン』だ。さすが「おはようからおやすみまで暮らしに夢をひろげる」と広言するだけのことはある。24時間すみずみまで商機をうかがっている会社なのだ。ライオンはクリスマスの広告戦略を画期的な宣伝で展開した↓

「毎日歯を磨く子は良い子で、良い子にはサンタクロースがプレゼントを持ってくる!」

 というわけで、明治時代クリスマス・プレゼントの人気商品は歯磨粉だったのだ!!

 良い子になるようなプレゼントを与えるとは! 親にとっては願ってもないプレゼントであるが、子どもにとっては、ショックだったかも。そもそも「歯を磨く良い子」は、子どもにとってはプレゼントをもらう「手段」にすぎないのだ。本末転倒である。もっとオモチャを!

 明治時代のサンタは、子どもにとってはサタンのように悪知恵を働かす、企業戦略の手先だったかもしれない。