魚心あれば
最近H氏より、いろんな渾名をいただいているので、私は出世魚のように名前が変わっている。
ちょっと前は「あんた、ウナギイヌに似てるな〜」といわれていた。
最近は「あ、ピグモンがおる」と言われたので、両手を胸の前でだらんとして手の甲を見せ、カラダを上下に揺すってみせた。
ええやん、ピグモン、かわいいやん♪ 怪獣やけど、ええ奴やしな。
昨日も、H氏といつものバカ話に興じていたとき、「魚心あれば、水心」という諺の話に流れた。
「あれ、魚心あれば、やったっけ? 水心あれば、やったっけ?」と混乱する私。
「魚心あれば水心や!」
「あ〜なんか、この言葉きくと、チョンマゲのお代官様のカオが浮かんでくるなあ。水心あれば・・・」
「いまゆーたばっかりやろ! 魚心あれば水心や!」
「あ、そやった。魚心あれば・・・母心! 押せば〜命の泉〜湧く〜」と両手の親指を立てる。
「『わっはっはっは〜』・・・って、なんでワシより先に笑うねん!て、お代官様に怒られるで!」
「指圧の心は母心・・・」って、若者たちには意味不明な会話でごめんなさい。70年代に一世を風靡した、決め台詞を持つ、そしてなぜか決め台詞の後には必ず爆笑する指圧のおじさんがいらっしゃったのでした。
ところでこの言葉、本来は「好意をもって接すれば、相手も好意をもって応ずるものだ」という意味で、人生訓カレンダーに好まれそうな言葉だったのだ。
ところが江戸時代の芝居「関取千両幟」で、「金を出して暗に八百長を頼む」にあたって「魚心あれば水心」というセリフが使われ、この言葉が一挙に有名になったらしい。これ以来、この言葉のイメージは江戸庶民にとって悪くなり、「役人と商人とのなれあい(悪事についてのもちつもたれつ)」の意味で使用されることが多くなったという。(Yahoo!知恵袋より)
それはまた、脈々と現在の時代劇まで受け継がれ、悪だくみをする際の常套句となってしまった。いや、時代劇ではさらに進化して『魚心あれば、なんとやら』と言うことの方が多いかな。もしかしたら、魚心は知っていても、「なんとやら」が何なのか、若者だったら分からない人、いるのかもしれないなあ。
ずっと前だけど、こんなマグネットクリップが、日本酒のオマケでついてきた。挟まれているのは、べつやくれいさんの頭にタコのカラダがついた「べつやくれい作のキャラクター」。Kちゃんがお気に入りのあまり、小学生のとき自作したフェルト手芸。お裁縫、大の苦手なのにね。