いないひととも一緒にいきる。
Kちゃんが修学旅行で台湾に出国中なので、現在3人家族である。少ない! 今日は生徒代表として台湾の交流校に挨拶する(通訳付き)そうだが、卒業式の送辞も大好評だったので、大丈夫だろう。
あの賑やかでおしゃべりな人がいないとなると、どんだけさびしいか・・・と思っていたが、いや、そんなでもなかった。春めいた、のんびりした時間が流れている。朝だっていつもより30分は寝坊可だ。
そんなのんびりな時間のなかで、『カーネーション』の鮮やかさをひとり反芻していたりする。
尾野糸子のラストでは、これからは失ってばっかりになる、親しい人たちが去って行くのをひとりで見送るのはしんどいで、と糸子が北村に言われていたっけ。階下では主要登場人物たちが祭の宴会に興じている場面が挟まれ、糸子が豪快に微笑んで「ヘタレは泣いとれ。うちは(岸和田で)宝かかえて生きて行く!」と宣言したその翌週。
その日の登場人物の半数(以上?)を占める写真(故人/それも前日宴会ではしゃいでいた人たち)がひしめいているのを見て、ショックをうけた人も多かろう。この豪快な故人写真の激増は、前回の北村の言葉をうけての脚本家の鮮やかな手腕だし、むしろひしめいている写真たちは、大勢で楽しそうな気配すら漂わせている。
普通ドラマでは仏壇の中で佇む故人写真だが、尾野糸子のときから、逝ってしまったひとたちは仏壇の中におさまってなんかいなかった。生きている人たちと生活をともにし、ときには対話している。コトあるごとに思い出され、彼らも一緒に楽しい時を過ごすのだ。
圧巻は最晩年の千代さんと廊下で酒を飲む亡き善作だった。生きている人と逝ってしまった人との融合する場面は、日本中に大感動を巻き起こしたのではなかろうか。しかもあの場面の小林&麻生コンビは、神がかってたし!
その周囲の親しい人たちの様々な死を受け入れる「しんどさ」を乗り越え、72歳になった夏木糸子が、リアルに写真たちに語りかけるのは、逝ってしまった人を糸子が「失った」訳ではないことを物語っているかのようだ。
それだからこそ、写真も無く消息も不明な周防さんを、いまも想う糸子のせつなさと健気さが際立つよう。
今日の結末に行きつくまでの手みやげ「金箔カステラ」が、まさか周防さんをも暗示(=長崎)するものだったとは。今日も渡辺あやマジックにやられました。
どうでもいいけど、金箔カステラの検索件数や注文件数、急上昇中だろうなあ。北村みたいな商人がどさくさに紛れて岸和田銘菓のひとつにしたりして(笑)