日蝕ラプソディ
もうずいぶん昔のことのような、5月21日、金環日蝕の朝のことだ。
イベントや流行はスルーしがちなわが家では、日蝕グラスなるものを、なんと誰も買っていなかった。だのに約3名ほどは、禁止されている見方で見たりしていた。見たいんやったら、グラス買えよ!というところだが、単にずぼらで買いそびれちゃったのだ。
日蝕の時間は、怒濤の家事時間だ。日蝕そのものより日蝕時の風景をみたいので、予定時間まで外にいた。暗くなるというより、光が斜めに入ってくるような黄色っぽい、寂しい感じの風景になった。
日蝕のピークが終わったらしき時間にはそそくさと家に入り、大慌てで家事を始めた。なにしろグラスがないので、テレビで述べられていた予定時間がたよりなのだ。
Kちゃんが帰ってきたとき、「日蝕みたけど、案外たいしたことなかった。家にいるとすごい暗かったけど」と報告したら、ショッキングなレスポンスが返ってきた。
「おかーさん、予定時間って、ちょっと遅れてたで。きっと家の中にいたときがピークやったんや」
ええええ〜〜っ!!?
それはショックじゃあーりませんか! しかしそういうことなら、あの家の中の暗さは説明出来る。
「おかーさん、やってもたな!」
・・・はい、やってしまいました。しょんぼり。
ところで、Kちゃんは通学途中やったと思うけど、どやったの?
「日蝕はどーでもええけど、京都駅のホームの端っこに、おっさんばっかり50人ほど集まって、日蝕メガネかざしておんなじ方向むいてたのがシュールやった。あれは見物(みもの)やったな〜」
う〜ん、やっぱりKちゃんは視点がちがうね。