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紙魚子の小部屋 パート2 plus はてな版 (2009年9月〜)

平凡な主婦の日常と非日常なおでかけ記録、テレビやラジオや読書の感想文、家族のスクープなどを書いています。

紙魚子(しみこ)のおでかけのあれこれ、ユニークな家族、節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物などを書いています。

延長、怨霊、納経。

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 オリンピックが始まってしまった。

 スポーツに全く関心がないので、オリンピック最優先でテレビ番組が進行される事態を憂慮していたが、早速大河ドラマの『平清盛』が、新聞の番組表では9時といつもより1時間も遅れて始まることになっていた。それが、柔道競技が遅れに遅れて10時を越えてしまった(怒) 野球の延長とオリンピックの延長には、いつも泣かされる。

 それでも今回の『平清盛』はリアルタイムで見なくっちゃ!!と固い決意でテレビを気にしつつ家事をする。タイトルは『平家納経』、なんといっても崇徳上皇のハイパワーな怨霊登場の回で、予告編も期待度が高かった。

 平家は一門で(ひとり1巻担当)嚴島神社に納める三十三巻の経典を書写したが、それは平家繁栄を祈願するため、また保元・平治の乱で無念の死を遂げた人たちを弔うためだった。清盛はこの国最高の技と材料、莫大な財と労力を注ぎ込み、絢爛豪華な三十三巻の経典を完成させた。

 この納経完成までのすごさを、見せてくれる見せてくれる!

 心をこめた平家の人々の写経の労力と、カネに糸目をつけない絢爛豪華な力の入れようと、技術の粋(すい)を集めた絵や工芸の力! 繊細な金箔や截金の技術もこの頃からあったのかと感動的なほど。

 崇徳上皇の讃岐での穏やかな暮らしぶりに、心温まるくらいな出だしが一転、かつての敵はおろか、日本中を呪詛するほどのパワフルな怨念に変貌してしまう。

 「なにひとつ思うようにならなかった」人。王家の人なので仕方ないが誰かに頼ってばかりで、たまに自分で「なにかやらかしたろー!」と思えばすべて裏目裏目にでてしまう。唯一和歌には秀でているので、西行との縁もあっただろう。

 とはいえ讃岐では「上皇さん」と地元の人たち呼ばれ、気さくに愛されていたし、戦を起こしたことを「なんと愚かなことを」と悔恨するほど穏やかな気持ちになっていた。ご自分でも「わたしは流されてよかった」と、しみじみおっしゃっていたように、流されて幸せな日々を得ることができた人だったのに。

 ところで高野山で修行中の西行は、清盛の息子、平基盛が不慮の死をとげたとき、讃岐の方角から怨念の塊のようなものが飛んで来た、たしかに見た、といっている。武芸にすぐれ、和歌も一流、女性にもてまくっていたスーパーマンのような彼は、なんと宗教的にも目覚ましい進歩をとげているのに驚く。スピリチャル方面の才能だってあったのだ。

 崇徳上皇の怨念が起こす嵐を沈めようと、ひたすら祈り続ける西行。それは「助かりたい」ための祈りではなく、崇徳上皇を怨念から解放するための、西行の愛ある祈りだった(独断)。

 同じく「嵐を鎮めるために、教典を海に沈めよう」と言う意見を聞かず、あくまで厳島神社に奉納する固い決意を持っていた清盛。彼も自分たちが助かることより、王家、摂関家武家、そして日本のすべての民のために作った教典を奉納することを第1義とした。スケールの大きな強い慈悲の意思だ(断言)。

 彼らの愛と慈悲によって、怨念から解放された崇徳上皇は、朝日の中、穏やかに成仏できたのだろう。不慮の事故で亡くなった基盛も、きっとあの笑顔で。