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紙魚子の小部屋 パート2 plus はてな版 (2009年9月〜)

平凡な主婦の日常と非日常なおでかけ記録、テレビやラジオや読書の感想文、家族のスクープなどを書いています。

紙魚子(しみこ)のおでかけのあれこれ、ユニークな家族、節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物などを書いています。

『戦争がはじまる』

以前の記事「紙魚子の小部屋」は下のリンク集から読めます。

 いつも読みかけで感想を書いてしまい面目ないのだが、いつ読み終えるのか、そもそも読み終えることができるのかもわからないので。

 3日前に福島菊次郎さんのフォトルポルタージュ『戦争がはじまる』を、元職場へ借りに行った。やはり誰も借りていない。マイナーな人だからな。

 駐車場に止めた車に乗るやいなや、エンジンもかけず、待ちきれなくて極暑の車内で早速ぱらりと適当に開いてみる。モノクロームの雑然とした世界が続く。

 いきなりヒロシマだ。国から見捨てられ極貧を生きる被爆者一家の写真たちだ。

 ・・・ヘビーすぎる。

 痩せた子どもたち。裸で横たわる被爆した苦しむお父さんは病の床で働けない。かさむ薬代。被爆してぼろぼろになったあげく亡くなったお母さんを弔う金すらない。実験用に解体される献体によって得た金で、やっと野辺送りをする。

 戦災孤児たちの施設は、厳しい規則に縛られているので、息をひそめるように暮らす子どもたち。それでも春がくれば彼らの表情はみちがえるように明るくなり、外で同じ施設の子たちと遊び回る。おもちゃは石だ。

 就職して施設を出たお兄さんがみやげ話を持って訪ねてくれば、子どもたちの表情に笑顔が咲き始める。でも施設の子らが貧困から逃れるため自発的に選ぶ就職先は自衛隊だ。貧困から抜け出すために。戦争によって親も財産も失った子どもたちが、ふたたび戦争のサイクルに組み込まれるのは、古今東西共通なのかも。

 貧しさのなかで、祭の浴衣を買ってもらい大喜びする少女など、ほっとするような写真もあるが、被爆して破壊された顔のアップや、被爆後広島で生まれて死んだ、まるで人類を告発するような怒りの表情の奇形の赤ちゃんとか、心臓が凍りそうになる写真だってある。

 怒りと絶望の間を、たまさか息をつきながら右往左往して頁をめくることになる。

 正直、ちょっと見ただけでも、かなりぐったりくる。「泣ける本」では泣かない私があっさり泣いてしまった。見た後は全くブログを書く気が失せてしまうほどに。こんなに酷いことがまかりとおっているのに、何をのうのうとしているんだろうと、ガックリくるのだ。

 でもフクシマ以降だからこそ、目を背けてはいけないと見続けることができる。それ以前なら、たぶん無理だった。

 「何もできなかったのなら、できないのなら、せめて『見ろ』!」という福島菊次郎さんの声が聞こえる気がした。

 あれもこれも素通りし、見て見ぬ振りをし、もしくは見ようとすらせず、見捨ててしまった幾多の犠牲者たち。その出来事のつらなりが、「今」に至ってしまったのだと。

 でもすっかりガックリした後には、しゃきっと背筋が伸びて気合いは入る。あの「元気をもらう」とか「がんばろう」とか前向き言葉オンパレードなメディアの、なんともいえない気色悪さと対極にあるものだったから。

 福島菊次郎さん撮ったドキュメンタリー映画『ニッポンの嘘』の予習のために写真を見とかなくちゃと思ったけど、これは受け取る方もかなり腰を落として気合いをいれとかないと、受け止めきれないかもしれない。ようし。

 私はこれからもずっとヘナチョコなままだろうけど、せめて「見ること」からだけは逃げないでおこう。