読書会で開眼。
さて昨日の話。
夏休みで8月は休会月だったので、2ヶ月ぶりの読書会だ。課題本は山崎豊子さん『運命の人』。文庫版で全4巻のうち3・4巻だ。
正直1〜3巻までは、なんだか作者の筆のノリが感じられず、読むのもひと苦労だった。
この感じ、森絵都さんの『DIVE!(全4巻)』1、2巻のときもあったな。後々あとがきを読んだら、途中までは書くのがすごく苦しくて、とても書き続けられないと思ったと書いておられた。ところが3巻は森節炸裂で、私なんか3巻だけ買ったくらいだ。
でもまあこれは巻ごとに違うキャラを主人公にしたという構成上、1、2巻の主人公が重かったから仕方ない。
山崎さんの手腕なら、ダラダラした裁判中のあれこれをショートカットしてみっちりした話に編集できたかもしれないのに。せめて3巻ではなく、2巻で裁判を終わらせて欲しかった。せっかく「ひとりでも多くの読者に読んでいただきたい」という思いで早々に文庫化されたのに、途中リタイアする人が目にみえるようで、もったいない。沖縄戦の話はすでに知っていてさえも、あらためて心に来るものがあったから。
でもまあ、コールドウェルの『タバコロード』とかバージニア・ウルフの『灯台へ』とか忍耐力だけで読み進み、ラスト近くでやっと感動!!というものだってあるからなあ。あの頃は私も若かった(20そこそこ)からこそ、読めたのだろう。1冊(数巻とか上下巻とかでなかった)だったし。
で、これを読み通せたのは、ひとえに読書会に参加するときは、読んでないと面白くないという一事に尽きる。それだけでなく、読書会のいいところは、みんなで一作品を突っつくので、読書が深まることだ。
いつも読書会が終わる度に翌日新しい感想を思いつき、自分のスローさを情けなく思うのだけど、それは「みんなで突っついた後」だからこそ深まった感想なのだということに、昨日気づいた。
ジャーナリストはスクープが花形みたいだけど、実は地道な問題をこつこつ掘り起こし、継続して調査し書いている人がいて、そういう地道さが、草の根で粘り強く活動する人たちを掘り起こして、支えるという部分の重要さを知ったり。
そもそも主人公がニュースソースを守るため、地味目に書いた記事が読者に読み取ってもらえなかったことから「最後の手段」に出たことで裁判沙汰になってしまったのだ。読み取るとか読み込むとかは受験のためにあるのではない。いろんな「規制」がある大新聞ではなく、ローカル紙や地方版を読むのも手かもしれない。蛇足ながら、Tくんは「もはや『東京新聞』しか信用できない」と言っていた。
主人公は大新聞社のバックアップがあっても、叩き潰されそうになったが、でも名もない市井の個人が、いろんな時代、いろんな場所で国家と戦っている。彼らのことはめったに報道されないので、私たちはなかなか知り得ないのだけど、知ろうと思えば、(たぶん)マイナー雑誌(激減しているんだろうな、ミニコミ)やネット上で知ることも可能だ。
しかもそんな市井の一個人は、『運命の人』以上にえげつないことを国にされても、断固引かない。むしろ組織に縛られない個人だからこそできるのだろう。村中のひとから変人扱いされ、電気も水道も止められ、ひとりぽつんと住むことになっても。
いや、逆境になればなるほど燃えるのも人間だったりするのだし。
2010年よりずっと前から、原発を作らせないために移転を拒んだ人とか、ダムを作らせないために村にひとり住み続ける人とか。
ダムの人は、自然破壊や村を守るためというより、先祖代々の村人の墓を水没させないために過酷な戦いをしているといってたっけ。そういう人だっている。
もしあれば、そういう人たちの聞き書き集みたいなの、読んでみたい気になってきたりして。