以前の「紙魚子の小部屋 パート2」はこちらhttp://blog.ap.teacup.com/tanukitei/から、 その前の「紙魚子の小部屋」はこちらhttp://ivory.ap.teacup.com/tanukitei/から。

紙魚子の小部屋 パート2 plus はてな版 (2009年9月〜)

平凡な主婦の日常と非日常なおでかけ記録、テレビやラジオや読書の感想文、家族のスクープなどを書いています。

紙魚子(しみこ)のおでかけのあれこれ、ユニークな家族、節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物などを書いています。

冷泉家へ

以前の記事「紙魚子の小部屋」は下のリンク集から読めます。

 第48回 京都非公開文化財特別公開の初日、11月2日に京都へおでかけ。今回は冷泉家清浄華院、廬山寺という、わりあい小規模かつ徒歩で移動出来るルートで回る。

 まずは冷泉家から。

 市営地下鉄を今出川駅で下車。地上に出ると御所や同志社大学が目の前だ。

 駅からして、雅び。駅裏のレンガの建物が同志社大学。来年の大河の登場人物が創立した。

 さすが、京都。

 今出川通りを東にまっすぐ行くと、冷泉家の門に到着。平日にもかかわらず短い行列が。それでも覚悟して出かけたので、予想よりはまし。

 待っている間に冷泉家についての基礎知識を。

 冷泉家は歌聖と仰がれる藤原俊成・定家父子を祖先とする『和歌の宗家』。800年間、和歌の伝統と、和歌に関する多くの典籍や古文書を守り伝えている名家である。

 土蔵「御文庫」には、冷泉家に伝わった貴重な典籍・古文書が収められており、その中には国宝5件・重要文化財47件も含まれている。「御文庫」の中には当主と嫡男しか入れない、冷泉家としては神聖な場所となっている。邸宅を含め、伝統を今後も保ち伝えるために、今は財団法人冷泉家時雨亭文庫となっている。

 江戸時代、天明8(1788)年の大火で土蔵以外の建物を焼失した後、寛政2(1790)年に再建された屋敷が現在も残り、近世公家住宅唯一の建物として国重要文化財に指定されている。

 明治維新後、ほぼすべての公家は明治天皇とともに東京へ行ってしまったが、冷泉家は「留守居役」として京都に住み続ける。おかげで他の公家が所持してきた貴重な典籍・古文書の多くは関東大震災東京大空襲で灰塵に帰してしまったが、京都に残った冷泉家はこれら公家文化を今に伝えることができている訳だ。

 ゆっくりと人が流れて、ほどなく冷泉家に入場できた。密かに撮影していた人もいたが、写真は禁止。

 実は大河『平清盛』ですっかり親近感を持った公家たちの文化に触れてみたかったのだ。いや、さすが平安時代にあれほど気位が高かったのもむべなるかなと納得の、清楚な上品さ、簡素な気品だった。

 とはいえ、そろそろたぬき亭で凍えはじめたので、続きはまた。