冷泉家にて
まず、昔懐かしいかまどのある台所、おくどさんに入る。特別なハレの日しか使わない竃の神様を祀る「飾りかまど」もある。天井が高く、一部排煙用に小さく四角く抜かれている。
梁には縄で巻かれた一抱えの藁束が、筆の穂先のような形で下げられている。台所の唯一のアクセントだ。このインパクトのあるモノはなんだろう?
ガイドさんの説明によれば、「赤熊(しゃぐま)」という藁細工で、魔除けになるそう。
これは、祇園祭の長刀鉾の屋根と鉾の間に飾ってあるもので、山鉾巡行が終わるとその内の一つをいただき、冷泉家の土間の正面に、魔除けとして飾ることになっている。
赤熊の下をくぐるとよいことがある、というウワサもある。京家の玄関で見かけるチマキの元ともいわれている。さすがは千年の都、奥が深い。
ちなみに室内に入れるのは、ここだけ。あとはすべて外から見るだけになる。
塀重門(へいじゅうもん)を抜けて、大玄関と内玄関を見る。
大玄関は、位の高い客人や当主が出入りする。祭の神輿も入るそうだ。
内玄関は日常的な普段使いの玄関だ。当日はガイドさんに「使者の出入りする玄関」、という説明を受ける。説明を受けた時に、「使者」を「死者」と脳内変換してしまい、「えっ?お葬式のときにしか使わないの?」としばらくそのように信じていた。阿呆な脳である。
ついでにいうと、この内玄関には銅を裏打ちしてデザインし、漆の枠に螺鈿細工が施された贅沢な衝立があった。こんな工芸品は初めて見た。たしかに贅沢なつくりではあるのだが、そのデザインがライオンと椰子の木という、なんとも斬新なもの。虎ではなく、たてがみフサフサのライオン。竹ではなく南国の椰子の木・・・お公家さんの趣味は、たまにわからない。
今出川通りに南面して立つ表門には、「しゃぐま」と比肩するほどインパクトのある意匠がある。屋根両端の留蓋瓦で、阿吽を対にした亀の瓦だ。
気品ある精緻な姿は、もちろんただの亀ではない。冷泉邸が御所の北に位置していることから、北方の守護神である玄武神だ。
またガイドさんの説明では中央の梁に木彫りの亀が北向きにいるということだったのに、うっかり見忘れてしまった。
さてお座敷は、東より上の間、中の間、使者の間と一列に連なっていて素通しだ。儀式や行事によっては、襖をとりはずして部屋の広さを変えることができるのだ。便利で機能的。
お座敷の襖は黄土色の地に雲母で型押しした牡丹唐草の唐紙が貼られている。季節感のない唐紙は、歌を詠むおりに、室内から季節感を排して、絵柄が邪魔にならないよう配慮したものらしい。さすがは「和歌の家」、冷泉家だ。歌会はさらに、古式ゆかしい↓
「上の間」正面の庭には、東に紅梅、西に橘が植えられているが、桜でなく梅なのは、まだ国風化する前の、中国的であった当時の古いしきたりに則るもの。現在の梅と橘は、昭和57年にお成りになられた宮様方のお手植えによるもので、まだ新しい。
長くなるので、今日はここまで。続きはまた。なお、写真は雑誌『芸術新潮』の2009年11月号「京都千年のタイムカプセル 冷泉家のひみつ」を使用しました。
参考までに冷泉家のム−ビー(BGM付きスライドショー)を貼っておきます。例のライオンと椰子の木の衝立は、ここでみることができます。