石道寺(しゃくどうじ)の観音さまたち
道々これだけ画像を採取したのに、目的地の石道寺のは、なぜかひとつもない。山裾にひっそりと佇んでいる素朴な観音堂だ。
三々五々と来る観光客たちをさばき、拝観料の受付をするおっさんは、ちょっとがさつなビジネスマンだ。
拝観料を払ってパンフをいただきお堂に入ると、穏やかに背を丸めたおばあさんが、静かに正座されていた。
客がとぎれると、
「それでは、観音堂の説明をさせていただきます」と言ったかと思うと、おもむろにカセットテープのスイッチが押された。
少し伸びたテープから、女性の声で観音様の説明が流れて行く。おばあさんは、表情を変えず穏やかなまま、じっと畳の上のなにかをみつめておられる(汗)
私はテープの説明はもう上の空で、ひたすらおばあさんを見ていた。観音様がケヤキの一木造であること、持国天、多聞天を脇侍としていること、平安時代の作であることなどは、帰宅後に知ったような気がする。
説明が終了して自動的にテープが止まり、カシャッと音がする。しばらく沈黙が流れる。
えっと、おばあさん、次は? だれもが静止して沈黙する堂内だが、おばあさん以外は、内心だれもが戸惑っていたはず。
しかし、眠りから覚めたようなタイミングで、おばあさんが沈黙を破った。「どうぞご自由にごらんください」
あの長い間合いの後、それだけ??
なにか補足の説明とか、ちょっとしたねぎらいなどのリップサービスがあると思いきや。
しかもおばあさんは、ずっと同じ姿勢のまま、やはり畳の上のなにかを、おだやかに見つめられていた。
リアルに見るホンモノの観音様は、たしかにパワフルで美しく慈悲深かったのだけれど、私の心はすっかりおばあさんに持って行かれてしまった。
ということで、石道寺の観音堂の印象は、カセットのボタンを押す、あくまでも穏やかなおばあさんに尽きる。付け加えれば、お堂の外の板1枚につき1匹乗っかっていたカメムシの多さかもしれない。
そういえば、あのおばあさん、ちょっと観音様に似ておられたかも。生き仏さまかもしれません。
湖岸の夕暮れ↓