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紙魚子の小部屋 パート2 plus はてな版 (2009年9月〜)

平凡な主婦の日常と非日常なおでかけ記録、テレビやラジオや読書の感想文、家族のスクープなどを書いています。

紙魚子(しみこ)のおでかけのあれこれ、ユニークな家族、節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物などを書いています。

無鄰庵へ

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 ふたたび知恩院前の駐車場に戻り、

 次の見学地、「無鄰庵」に向かう。

 ここは、もうずーーーっと行きたかった場所なのだけど、どうしても行きたい!というほどのテンションはなかったので、ズルズルと行かずじまいになっていた場所だ。地下鉄を「蹴上」で降りれば、美術館や動物園や平安神宮に行く途中にあるので、近くまでは来ているのだが、機会に恵まれなかった。

 閑静な知恩院界隈から、まず平安神宮前まで出る。

 鳥居の前で曲がり、疎水に沿って動物園を横に見る。バスを降りると、正面に南禅寺の屋根が見え、小径に入り込むと有名な懐石料理の店『瓢亭』の文字が、塀の上からのぞく。淋派の尾形乾山の器を使ってお料理を出される老舗で、朝がゆで有名かも。敷居が高いお店なので行くことは無いだろうけど、憧れのお店。本も買った。

 このお店の向かいにあるのが無鄰庵。公式HPによれば

 無鄰菴は,明治27年(1894)から明治29年(1896)にかけて明治・大正の元老である山県有朋(やまがた ありとも)が京都に造営した別荘です。その名は,有朋が長州(山口県)に建てた草庵が隣家のない閑静な場所であったことから名付けられたといいます。

 明治の元老の別荘なのだ。しかも、庭園は有朋自らの設計で、造園家・小川治兵衛(おがわ じへえ)が作庭したもの。地の利をいかし東山を借景としている。しかも疏水の水をとり入れて(防火用水という名目)、滝や池をつくっているのだ。いわゆる池泉廻遊式庭園というものである。

 明治31年の建立の洋館も現存している。2階には江戸時代初期の狩野派による金碧花鳥図障壁画で飾られた部屋がある。ここで明治36年(1903)元老・山県有朋、政友会総裁・伊藤博文、総理大臣・桂太郎外務大臣小村寿太郎の4人による、日露開戦直前の「無鄰菴会議」が開かれた。歴史的な場所でもあるのだ。

 ということで、明日は無鄰庵の写真大会。