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紙魚子の小部屋 パート2 plus はてな版 (2009年9月〜)

平凡な主婦の日常と非日常なおでかけ記録、テレビやラジオや読書の感想文、家族のスクープなどを書いています。

紙魚子(しみこ)のおでかけのあれこれ、ユニークな家族、節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物などを書いています。

長谷川家住宅へ

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 はんなりした祇園から、京都駅八条駅側、東九条にある「長谷川家住宅」へ移動だ。

 再度、四条通を戻る。数えきれないくらい前を通った「めやみ地蔵尊」の説明を、バスガイドさんから聴く。

もともとは「雨やみ地蔵」だったのが、いつしか「目疾(めや)み地蔵」になり、目に霊験あらたかなお地蔵さまということになったとか。

 京都でも屈指の繁華街なので、こんな場所にお寺があることにも気づかないかも。

 北座の?永遠のライバル、南座。この風格。

 さて、バスは南に向かって走る。四条とは別の世界になる。

 夏の情緒、昭和風・緑のカーテンテッポウユリが清楚。

 川のほとりに「工場萌え」2点。

 京都府内では、長岡京で見学したサントリーのビール工場以来の光景。

 そんなこんなで、長谷川家住宅に到着。

 会津藩士も投宿した築270年、町家の特色も残す農家住宅だ。

 十一代当主・長谷川良雄(よしお)の風景画や、歴代当主が集めた書籍や屏風などの特別展示も見られる。

現当主の祖父が13歳のときに描いた絵巻物があるが、それは1864年の長州征伐の折、会津軍が竹田街道を南下していった様子を描いたもの。説明を聞いた見学者からは、「え!13歳でこれを?」というつぶやきが出たほど、精緻に描かれていた。

 洋風の居間もゆったり時間を忘れて過ごせそうな、あたたかい雰囲気だ。

 これでバス旅は終了。バスに乗り込む前に見つけたお店。「食堂 土地」って、なぞかけ? お店の名前は、なにかの洒落か?

 扉の横の木には、判じ物が書かれている。

「春夏秋冬」の秋がないから「あきない」→「商い」。

「二升五合」は一升マスがふたつと五合は半升だから、「ますます繁昌」。

しかし、いくら首をひねっても「食堂 土地」はわからない。

 最終的にはミステリーな、京の夏の旅だった。