長谷川家住宅へ
はんなりした祇園から、京都駅八条駅側、東九条にある「長谷川家住宅」へ移動だ。
再度、四条通を戻る。数えきれないくらい前を通った「めやみ地蔵尊」の説明を、バスガイドさんから聴く。
もともとは「雨やみ地蔵」だったのが、いつしか「目疾(めや)み地蔵」になり、目に霊験あらたかなお地蔵さまということになったとか。
京都でも屈指の繁華街なので、こんな場所にお寺があることにも気づかないかも。
北座の?永遠のライバル、南座。この風格。
さて、バスは南に向かって走る。四条とは別の世界になる。
川のほとりに「工場萌え」2点。
京都府内では、長岡京で見学したサントリーのビール工場以来の光景。
そんなこんなで、長谷川家住宅に到着。
会津藩士も投宿した築270年、町家の特色も残す農家住宅だ。
十一代当主・長谷川良雄(よしお)の風景画や、歴代当主が集めた書籍や屏風などの特別展示も見られる。
現当主の祖父が13歳のときに描いた絵巻物があるが、それは1864年の長州征伐の折、会津軍が竹田街道を南下していった様子を描いたもの。説明を聞いた見学者からは、「え!13歳でこれを?」というつぶやきが出たほど、精緻に描かれていた。
洋風の居間もゆったり時間を忘れて過ごせそうな、あたたかい雰囲気だ。
これでバス旅は終了。バスに乗り込む前に見つけたお店。「食堂 土地」って、なぞかけ? お店の名前は、なにかの洒落か?
扉の横の木には、判じ物が書かれている。
「春夏秋冬」の秋がないから「あきない」→「商い」。
「二升五合」は一升マスがふたつと五合は半升だから、「ますます繁昌」。
しかし、いくら首をひねっても「食堂 土地」はわからない。
最終的にはミステリーな、京の夏の旅だった。