京都のお盆はココから
そんなこの世とあの世をつなぐ場所なので、京都のお盆はここから始まるといわれているらしい。(写真は禁止だったので、閻魔堂の画像はなし)
まずは閻魔堂でお参り。小野篁(おののたかむら)の作と伝わる閻魔大王像と、等身大の小野篁(おののたかむら)像が祀られている。昼は嵯峨天皇に、夜は閻魔大王に使えたという伝説の役人で、百人一首にも彼の歌が採用されている。
『わたの原 八十島かけて漕ぎ出でぬと 人には告げよ あまのつり船』
私が閻魔堂に来る前から、小学生連れのご家族がいらっしゃり、関係者の方の詳しい説明を聞いてらした。関係者の方はTシャツ姿だが、もしかしたらお寺の若僧侶かもしれない。
彼が語るには、今昔物語で篁についてのこんな話があるそうだ。
篁は若い頃罪を犯したが、藤原良相(よしみ)という男が彼を弁護してくれた。後に良相は病気で亡くなってしまい、閻魔大王の前に引き出された。すると大王の隣には、なんと篁がいて、「彼はいい人なので、助けてやってくれないか」とお願いしたところ、閻魔大王は承諾して良相を生き返らせたというのだ。
それを聞いた女子小学生は、いたく感心して「すごい人やな!閻魔大王と友達やなんて」と感嘆していた。
気を良くしてさらに彼が語ったところによると、「小野篁が主人公のマンガがあるらしくて、結構脚色されているので、虚像の部分もあったりするんです。『篁のファンです』という子に私が説明したら、『それ、違います!』って反論されました」
閻魔堂の隣には壁に覆われて鐘がみえず、穴に引き綱が渡してある鐘楼がある。精霊がその音を聴いてこの世に甦ってくるという「迎え鐘」と呼ばれる不思議な梵鐘で、毎年盂蘭盆(うらぼん)にあたり精霊(しょうりょう)をお迎えするために撞かれるのだ。
古来よりこの鐘の音は、十万億土の冥土まで響き渡り、亡者はそのひびきに応じてこの世に呼び寄せられると伝えられている。
この鐘についても、詳しい説明を聞く事が出来た。これも今昔物語にある伝説である。
この鐘は、開基の慶俊僧都(けいしゅんそうず)が作らせた。
あるとき僧都が唐国に赴くときにその鐘を三年間、この鐘楼下の地中に埋めておくようにと寺僧に命じて旅だった。
ところが、留守をあずかる寺僧は待ちきれずに一年半ばかりたって掘り出して鐘を撞いたところはるか唐国にいる僧都のところまで聞こえたといい、僧都は「あの鐘は三年間地中に埋めておけばその後は人手を要せずして六時になると自然に鳴るものを、惜しいことをしてくれた」といって大変残念がったという。しかし、そんなはるか彼方の唐国にまでも響く鐘ならおそらくは冥土までも届くだろうと信じられ、このような「お迎え鐘」になったと伝えられている。
私も撞かしていただいたが、なんとも哀愁漂う魅力的な音だった。
明日からの準備に大わらわの檀家さんと、フライングしてお参りする参詣者(私を含む)が入り交じる、でもどこか、のんびりした空気の境内。
「六道の辻」って、どっかで聞いたことあるなあ・・・と思ったら、江戸川乱歩の名作『孤島の鬼』の謎の暗号の一文だったんだ。「六道の辻で迷うなよ」っていう。
「閻魔大王の臣」とあるが、もしかすると、ため口の友達だったかもしれない。「あまちゃん」のアキちゃんと鈴鹿ひろ美さんみたいに。
あ、そういえば紫式部の墓と小野篁の墓が堀川千本の方にあるが、なぜ隣同志なのかという説明もされていた。
紫式部は『源氏物語』の作者だが、当時、男女の事を書いた物語は罪深いものなので、地獄に堕ちて成仏できないのではないか(『今鏡』に記述されているらしい)と心配した源氏物語ファンが、篁の墓を紫式部の墓の隣に持って来た、あるいは紫式部の墓を篁の隣につくった・・・などのウワサもあるとか。
六道珍皇寺についての情報はコチラにもありますので、リンクを貼っておきます↓
http://kanko.city.kyoto.lg.jp/detail.php?InforKindCode=1&ManageCode=1000245
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AD%E9%81%93%E7%8F
%8D%E7%9A%87%E5%AF%BA
観光客がコスプレした「なんちゃって舞妓はん」を発見したりしたあと、バスで京都駅まで行き、帰宅。やっぱりホンモノの舞妓さんとは所作が全然違うから、すぐバレるのだ。