生と死のはざまで。
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9月の「池田澄子俳句カレンダー」は、生と死のはざま感が濃厚。でも軽やかにスキップしているようだ。
たぶん池田さんは、いろんな句で「不謹慎」というクレームはどっさり受け取って来られたであろう。それでも池田さんは、理知的な観察力と冷静な視点と子どものようなスキップ感を、ますます研ぎすまされる。
池田さんが生活の中で、面白さや楽しさを満喫できるのは、自分の眼でしっかり見て、自分の心で感じ、自分の心で考える。ものを凝視する客観性があるからこそ、できることだ。だから必要以上に怒らない、がっかりしすぎない、でも言うべきことはまっすぐに言う。そこに「お茶目」という余裕が生まれる。お釈迦さまのいう「中道」とは、こういうことかとも思う。その姿勢が好きだ。