11月のカレンダー
11月の「池田澄子俳句カレンダー」です。
11月の句は、それぞれに、なんだか余韻がたっぷりで想像が広がっていく。
年をとって急に立ち上がると、膝が付いて行か(け)ないんだ。それを愚痴るんでなく「驚く膝」っていうのが、楽しい。
うめもどきの実が赤くなる季節には、過去のうらみつらみを思い出すけれど、もはや辛い過去さえも懐かしく思えるほど月日が経ったのかも。歳月を重ねる浄化が素敵。
私は消化器の強い男を知らないので、思わず納得してしまう(笑) すぐ「ごめん、ちょっとトイレに」というロマンチックでない男とすら、男と一緒に初しぐれにあうのは、ちょっとロマンチックなシチュエーションな気がする。
「しぐれごこちの眼鏡」! しぐれが眼鏡のレンズ部分に斜めに水滴を走らせて、なおかつ曇っているのが、ありありと浮かんで来て笑いそう。しかもお互いにね。うん、笑うわ、これ。
子どもの頃、親戚や近所の家の襖の上とかに、兵隊さんの帽子を被った遺影があって、一代前には戦争があったことをリアルに感じていた。仏壇の遺影ではなく、ついそっちを思ってしまう。冬の夜、家々に吹き渡る木枯らしの音が聞こえるよう。咽び泣くように。
蟹味噌を食べるのって、蟹身を食べるより罪深そう。でもそれが人間の原罪であり本質なら、しかたない。蟹味噌、おいしいもんね。
落ち葉が敷き詰める枯れ園に落ちてしまった鈴。空耳のように鈴の音が聞こえる。クリスマスの鈴にもつながって行くようにも思える。永遠に鈴。凛々と。