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紙魚子の小部屋 パート2 plus はてな版 (2009年9月〜)

平凡な主婦の日常と非日常なおでかけ記録、テレビやラジオや読書の感想文、家族のスクープなどを書いています。

紙魚子(しみこ)のおでかけのあれこれ、ユニークな家族、節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物などを書いています。

『あまちゃん』の反骨

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 今日はおせちに邁進するつもりだったが、そういうわけにもいかず居間を片付けた。10時間『あまちゃん』を10時間一挙放映するのを、途中からの飛ばし飛ばしではあるけど、ふたたび見ることも出来た。

 レギュラーの朝ドラのときも、うすうす感じてはいたが、やはりこっそりと反骨のドラマだった。「こっそり反骨」(『あまちゃん』や『泣くな、はらちゃん』)とか「シニカル反骨」(たとえば『リーガルハイ』)とかは、好きなドラマの条件だけど、なぜかストレートに反骨は逆に反骨パワーを削がれてしまう気がする。

 どす黒いウワサ話をしつつ、明るく仲のいい海女軍団の面々。赤字ローカル線と閑散とした街をなんとかしたい、リアスに集う男達。さほど性格のよろしくない人たちだけど、そのリアルなほどよさが、逆に意識的にも無意識的にも裏表がなく安心出来る。

 しかし震災後の彼らの笑顔の裏にある、本気で「このままじゃ終わらない感」が、秘めたパワーを感じさせる。「世界の中心は北三陸だ」と本気で言えるほどに。

 北三陸の人々の、「それじゃいつまでたっても『被災者』だべ?!」というセリフが、レギュラー朝ドラのときに、かなり心に刺さっていた。彼らは『被災者』でいることをよしとしない。そしてきっとそう呼ばれることも。

 それにしても、このドラマの「そのままでいい」感は独特で、「成長しなきゃ」や「自分探し」とは見事に対極にある。みうらじゅん師が到達して提唱した「自分なくし」という境地みたいだ。

 いろんな意味で、妙にしゃかりきな日本に一石を投じた感がある『あまちゃん』は、クドカンから2013年に贈られたおおきなプレゼントだった。ありがとう、クドカン