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紙魚子の小部屋 パート2 plus はてな版 (2009年9月〜)

平凡な主婦の日常と非日常なおでかけ記録、テレビやラジオや読書の感想文、家族のスクープなどを書いています。

紙魚子(しみこ)のおでかけのあれこれ、ユニークな家族、節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物などを書いています。

1月1日

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 元旦である。新年である。

 だいたい例年、実家から家までの帰宅途中の車中で年を越す。FMラジオとともにカウントダウンをしている。

 家に帰ってから、新年早々、夫と「ゾロアスター(拝火)教」についてのバカ話で盛り上がる。薪ストーブ好きは、かくれゾロアスタンだとか、そんな話。「ずーっとバカ話ができる」ような1年を過ごすことが、今年の願いであり、抱負であり、目標だ。

 そういえば小学生の頃(昭和40年代)は、たぶん1月2日は登校日だった。登校して講堂に全学年が集まって、校長先生のお話を聞き、唱歌「1月1日」を歌って、下敷きをいただいて帰る。あれはなんだったんだろう。

 で、気になったのが「1月1日」の歌詞だ。いや、当時はなんの疑問も抱いてはいなかった。素直な田舎の小学生だったから。でも、今は素直じゃない田舎のおばちゃんなので、どうでもいい記憶が妙に気になったりする。

 この歌を知らない方がいらっしゃるかもしれないので、念のために歌詞を復習すると↓

「一月一日」

(一番)

「年の始めの 例(ためし)とて

終(おわり)なき世の めでたさを

松竹(まつたけ)たてて 門(かど)ごとに

祝(いお)う今日こそ 楽しけれ」

 まず当時は「ノストラダムスの大予言」が大ブレイクしていたから、「終わりなき世」を信じている子どもの方が少なかったかもしれない。心にもないことを元気に歌っていた訳である。

 そしてさらに、察しのいい方は何を言おうとしているのか、おわかりだと思うが、そう

「松竹たてて門ごとに」

を、小学生の頭が変換したのは

「松茸たてて角ごとに」。

それが

「祝(いお)う今日こそ 楽しけれ」

に続いて行く。

 そんなシュールな歌を、お経のように未知の呪文のように何の疑念も抱かず、小学生の間中、新年早々、元気に歌っていたのだ。

 昭和40年代の田舎の小学生は、今から思えば救いようの無いバカだったと、40年前の自分をしみじみ哀れむ、平成26年のお正月なのだった。