ウルトラマンに出会う。
佐川美術館で開催中の、『ウルトラマン創世紀展 ウルトラQ誕生からウルトラマン80へ』を夫婦で見に行く。
ウルトラマニアではないし、子どもの頃は確かに見ていたけど、流行に乗っただけで、とくにのめり込んではいない。だからアツい想いはない。
でも、ウルトラマンは私たち世代には、文化的教養のひとつだ。怪獣の名前をどれだけ知っているか、というのは、重要な知識なのだ。
そしてそんなゆるい気持ちからか、大チョンボ発生。カメラ、忘れた〜!せっかく電池パック充電したのに〜(泣) やはりウルトラマンを甘く見てはいけなかった。さっそくバチが・・・。
ということに、途中、カメラOKの、ウルトラブラザーズ勢揃いの部屋で気づく。でもここで嬉々として写真を撮る家族やカップルを見ているのは、なかなか楽しかった。
たぶんウチから持参したらしいウルトラマンのお面をかぶり、彼の私物のカネゴンのいい感じのソフビ人形を握りしめ、初代ウルトラマンと並びポーズをキメる幼児、とかね。撮る方のパパやママも、うれしそう。それを眺める赤の他人のおばあちゃんも目を細めていた。とにかく、みんな楽しそうだった。こんなにウキウキした気分があふれる展覧会も珍しい。
ということで、ま、いいや、ウチの写真は。
『創世紀展』と銘打たれているだけあって、円谷プロができるまで、初期のワークのあれこれ、実は大人向け特撮テレビ番組を企画して台本が何本もできていたのに、怪獣が金儲けになることを知ったスポンサーの意向で、「怪獣もの」に急遽変更。その後、ウルトラマンの造形が出来るまでの紆余曲折など、興味深い資料が並んでいた。
実は成田亨氏の造形のマニアックな解説なんかがあれば、と思っていたけど、彼の名を冠したものは無かった。初期に関わられた成田亨さん(円谷プロの美術監督/怪獣やウルトラマンのデザインも担当)の造形がお目当てでもあったのだけど。
不思議に思って、帰宅後ネットで調査。なんと彼は円谷プロとロイヤリティの件で揉めて、ウルトラセブンの途中で円谷プロを辞められていたとか。
なるほど納得。そりゃ無理だろうな。あらためてウィキで円谷プロでの成田さんの仕事を知り、前より好きになったかも。
広隆寺の弥勒菩薩や能面をヒントに、ウルトラマンマスクを仕上げたとか、カラータイマーを嫌ったとか、自作の怪獣では、バルタン星人はデザイン的に否定的で、ケムール人を会心の作としていたとか。宇宙人は地球人にとっては敵だけど、自分の星では英雄だろうとか。子ども番組に、気味のわるい醜悪な怪獣はそぐわないから、意外性や独創性を重視したシンプルな造形を好んだとか。怪獣に哲学を取り入れた人なんだ。
展示の話に戻れば、ウルトラマンの拡散していく世界(タロウ〜レオ)の変遷が、「へええ〜!」だった。じっくりとウルトラマンの誕生と変遷と変容の歴史に触れられた。
ウルトラマンタロウの「タロウ」は昔話をモチーフにするストーリーに合っているし、ウルトラの母の登場でファミリー感溢れる、ドメスティックな作風になっているらしい。
一方、「ウルトラマンレオ」では、もはやウルトラファミリーの一員ですらなく、M78星雲光の国ではなく獅子座L77星の出身で、しかも故郷の星は滅ぼされている。そんなことも初めて知った。
「帰ってきたウルトラマン」のコーナーをみていたとき、隣のカップルの男性の方が、「この最終回は、子供心に衝撃やった。子ども相手にここまでするかって思って、トラウマやった」としみじみと彼女さんに語っていたのが印象的だった。それぞれのウルトラマン体験には、ドラマがあるのだ。
ほかに、小松崎茂氏のSFイラストやプラモデルの箱絵なんかがみられたのが、ちょっとうれしかったかな。
会場を出て、いよいよ目的の大きな部分を占める、ミュージアムショップへ。すでに売り切れているものもあったけど、ちょっとキッチュな小物を購入↓
↑キーボードの間に立てられるガラモンのメモ。指の関節の切り込み方が細かい!
キノコの売人をしているバルタン星人のポストカード↑
ほかにも「快獣ブースカ」のクリアファイルやメモなど。上の2点は思いのほか女子大生の娘、Kちゃんが喜んでくれました(笑)