角屋(すみや)ふたたび
以前の記事「紙魚子の小部屋」は下のリンク集から読めます。
角屋さんについては、今年の春におひとりさまで訪ねたとき、すでにじっくりと書かせていただいた。 日本に現在唯一残っている「揚げ屋建築」なのだ。
「揚げ屋」とは「お泊まり」が出来ず、広い台所、お庭、お茶室、宴会所の4カ所が必須の高級料亭だ。花街といっても、江戸の吉原とはまったく別物。政財界の大物が出入りしたし、文化サロンでもあったので、有名人の書画もたくさん残っている。
今回は団体さんの案内で短時間なため、説明されていないこともあったけれど、今回初耳なことも、いくつか拾うことが出来た。その部分を紹介したい。
たとえば「西郷(隆盛)サンが産湯を使った(といわれている)木製タライ」が展示してあった理由とか。
これは敗戦直前に空襲が激しくなってきたとき、火が回らないよう事前に建物を壊しなさい、という命令が軍から出たらしい。「西郷サンが使ったタライがでてきたんどすが」という角屋さんが差し出したタライを、本物かどうか当局が調査することになり、しばらく解体が保留になった。担当者が、この建物が明治維新のゆかりの遺構ということを理解した故である。その間に戦争が終わったので、角屋の建物を救ったタライとして、丁重に展示されているのだとか。
台所とお座敷の間にある帳場は、お運びさんたちの戦場と化す。行灯や燭台を置くと倒れるキケンがあるので、「八方」という吊り下げ式の大きな灯りを用いたとか。
同様の理由で、つまづかないよう土間と畳の間は段差を無くしたバリアフリーになっていること。
後にある大きな飾り竈(かまど)は三宝荒神を祀る為のもので、竈としては使われない。
前栽にある井戸の滑車は陶器で出来ており、これが「織部焼き」なのだとか。なるほど緑の釉薬が掛かっている。角屋ならではの、小粋でお洒落でハイセンスだ。
網代の間から松の間へ行く廊下にあった衝立。岸良筆の「布袋図」。
絵柄はホテイさんだけど、その周りが螺鈿細工になってる! 400年前の琉球王朝で作られた琉球螺鈿らしい。