峰玉亭にて
峰玉亭は庭園の中に建ち、しょうざんの創始者・松山政雄氏が1955(昭和30)年に建てられた迎賓館で、数寄屋造の名建築だ。松山氏が大工に細かく指示をして作り上げたが、完成直前に施主は病に倒れ、できあがった峰玉亭を見ずにこの世を去った。宮大工によって釘を一本も使わず建てられた屋敷は、完成まで3年を要したのだ。
写真は撮れなかったけど(後がつかえていたので)、六曜舎のタイルを小振りにして、さらに渋くしたような玄関に敷き詰められたタイルは「織部焼き」だとか。一枚一枚が微妙に違うところが、いかにも手づくり。大変珍しいものだそうで、渋い緑のグラデーションが美しかった。
上品な平安朝の掛け軸が、玄関でもてなしてくれた。
大きな変形花頭窓のある書院風の棚は、帯や着物を広げて商談をするためのもの。
へりに使われている杉は「さび丸太」といい、わざとカビを生やして、それを落とした痕を模様として楽しむという手のかかった?逸品だ。間違っても「タケノコの皮みたい」とか言わないように。
戸袋の瀟洒な絵は、今宮神社の「やすらい祭」の様子らしい。
天井はすべて竹が使われている。胡麻竹や煤竹などの高級品だ。煤竹は民家で使われて煤がついたのものを解体した、高級リサイクル品。以前に使っていたとき紐などで縛られていたなごりの、煤がついていない箇所が模様となっており、その模様を楽しむのがツウらしい。
細く敷き詰められているのは、びわ湖の葦。
この部屋は、京都を愛した文人の歌が掛けられているので「吉井勇の間」と呼ばれている。
次は「栖鳳の間」。竹内栖鳳による掛け軸↓
むちゃくちゃうまい人だけど、茶目っ気がないのが惜しい(そこか!?)
江戸期の狩野派の襖絵は、元々屏風だったものを襖絵にしたものだそうだが。
開くと胴がまっぷたつに!
こちらはお母さん鳥の、首が、くびがあぁー!
く、くちばし、くちばしが、こんなことにー!! ・・・というオソロシイ事態が巻き起こっていた。
それらを、静かに見下ろす霧島杉天井。
やはり、屏風のまま、そっとしておいてあげた方が・・・(こっそり)