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紙魚子の小部屋 パート2 plus はてな版 (2009年9月〜)

平凡な主婦の日常と非日常なおでかけ記録、テレビやラジオや読書の感想文、家族のスクープなどを書いています。

紙魚子(しみこ)のおでかけのあれこれ、ユニークな家族、節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物などを書いています。

峰玉亭にて

以前の記事「紙魚子の小部屋」は下のリンク集から読めます。

 峰玉亭は庭園の中に建ち、しょうざんの創始者・松山政雄氏が1955(昭和30)年に建てられた迎賓館で、数寄屋造の名建築だ。松山氏が大工に細かく指示をして作り上げたが、完成直前に施主は病に倒れ、できあがった峰玉亭を見ずにこの世を去った。宮大工によって釘を一本も使わず建てられた屋敷は、完成まで3年を要したのだ。

 写真は撮れなかったけど(後がつかえていたので)、六曜舎のタイルを小振りにして、さらに渋くしたような玄関に敷き詰められたタイルは「織部焼き」だとか。一枚一枚が微妙に違うところが、いかにも手づくり。大変珍しいものだそうで、渋い緑のグラデーションが美しかった。

 上品な平安朝の掛け軸が、玄関でもてなしてくれた。

 大きな変形花頭窓のある書院風の棚は、帯や着物を広げて商談をするためのもの。

 へりに使われている杉は「さび丸太」といい、わざとカビを生やして、それを落とした痕を模様として楽しむという手のかかった?逸品だ。間違っても「タケノコの皮みたい」とか言わないように。

 戸袋の瀟洒な絵は、今宮神社の「やすらい祭」の様子らしい。 

 天井はすべて竹が使われている。胡麻竹や煤竹などの高級品だ。煤竹は民家で使われて煤がついたのものを解体した、高級リサイクル品。以前に使っていたとき紐などで縛られていたなごりの、煤がついていない箇所が模様となっており、その模様を楽しむのがツウらしい。

 細く敷き詰められているのは、びわ湖の葦。

 この部屋は、京都を愛した文人の歌が掛けられているので「吉井勇の間」と呼ばれている。

 次は「栖鳳の間」。竹内栖鳳による掛け軸↓

 むちゃくちゃうまい人だけど、茶目っ気がないのが惜しい(そこか!?)

 江戸期の狩野派の襖絵は、元々屏風だったものを襖絵にしたものだそうだが。

 開くと胴がまっぷたつに!

 こちらはお母さん鳥の、首が、くびがあぁー!

 く、くちばし、くちばしが、こんなことにー!! ・・・というオソロシイ事態が巻き起こっていた。

 それらを、静かに見下ろす霧島杉天井。

 やはり、屏風のまま、そっとしておいてあげた方が・・・(こっそり)