御所から九条邸跡まで
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建物はレンガ作りでモダンな近代建築なのに、外側は和風な同志社大学の前を通り過ぎると、向かいは御所。
しかし、御所は広い。そして入口もいっぱいある。
今回は堺町御門より入場。
御所の中より、丸太町通りを垣間みる。次元が異なるような風景。
かつては御所の周囲に、お公家さんのお屋敷が並んでいたとか。明治維新後は、冷泉家を除いてお公家さんたちは、帝と共に東京に行ってしまった。
五摂家のひとつ、摂政になれる由緒正しいお公家さんだった九条邸も、本宅は跡地だけである。
本日訪問するのは、九条家の別荘だ。主に和歌を詠んだりお茶会をする別邸。「拾翠亭(しゅうすいてい)」と呼ばれている。ここは幸いにも残ったのだ。
池にかかる橋を渡る。折りしも、白無垢姿の花嫁さんがしずしずと橋を渡って来られ、すれ違う。京都のフィールドで花嫁姿って、流行なのか?
名残の百日紅が美しい。
あれに見えるのが、拾翠亭。絵になる。
九条邸の鎮守だった厳島神社も、池のほとりに残っている。
橋を渡りきると、ひんやりとした森に出る。
老い松が、いにしえへと誘ってくれる。
この厳島神社は、広島・安芸の厳島神社の分社の一つで、平清盛が母・祇園女御のため、現在の神戸に勧請して祀ったのが始まり。その社を九条家の邸宅内に遷座し、九条家の鎮守社となったらしい。
唐破風形の鳥居は「京都三珍鳥居」の ひとつ。唐破風(からはふ)とは中央部分を弓形に盛り上げ、左右になだらかなに流れる曲線をもった屋根の切妻部分に付いている装飾板の事。老舗のお風呂屋さんで玄関屋根になっている、あれです。あ、「千と千尋の神隠し」の湯屋の入口、とした方がわかりやすいか。
鴨がたくさん優雅に泳いでいたが、鳴き声はトリが締められる時のように、ギャウン!!という大声で、思わず振り向いた程だ。