細見美術館で仙がい義梵和尚をみる。
秋の京都は大混雑かと思いきや、平日の午前中はさすがに人影まばら。用心して、バスではなく山科から地下鉄を使い、細い路地を通る。歩行者は、たまに修学旅行生のグループや、なんらかの理由で遅れて通学する高校生に出会うくらい。
ではなく、
こじんまりした細見美術館ならではの、のんびりした空間を味わえた。
砂漠の国にありそうな感じの(個人的イメージ)、窓の無い砂色の不思議な建物だ。
想像していた以上に仙がい義梵和尚の禅画は面白く、2部屋しかなかったのに、じっくりと時間を忘れて拝見した。
↑「鍾馗図」では、小鬼をつかまえた鍾馗さまが、「酒買うてこい! うまそうな肴がとれたけん」と言ってるところ。肴って!! 酒の肴にされると知った小鬼の驚きぶりが可愛い(笑)
↑脱力すぎる七福神!
↑「円相画賛」。ふつう円相を描いているのは、禅の真髄をあらわした哲学的なものだけど、賛には「これくふて(これを食って)お茶まいれ(お茶もどうぞ)」とある。だから、この円はおまんじゅうか大福餅。この軸の前には、座布団を敷かれた抹茶茶碗が鎮座していましたよ。ちゃんと洒落がわかってらっしゃる。
ほか、不思議なふたりの童子?「寒山拾得」の師である豊干(ぶかん)がとぼけた虎に乗った図も面白かった。
豊干は人に「寒山拾得は、普賢菩薩文殊菩薩の生まれ変わりだから、拝んでおけよ」と告げ、その人がふたりを拝んだので、ひねくれものの寒山拾得(しかもイタズラ好き。ムーミンのミイみたいなやつら)はおかえしに「豊干はおしゃべりだな。あいつこそ阿弥陀如来の生まれ変わりなのに。あいつを拝んで来た方がいいぜ!」と言い返したという逸話(故事?)があるそうだ。それにならい、豊干の画の賛には豊干の頭上に「饒舌彌陀」と書かれていた。「饒舌彌陀」か。いいなあ。
図録があれば・・・と思ったのだけど、残念ながら仙がいさんの画集は少部数出版かつ豪華装丁のレアものらしく、半額以下ながら7千円と高額商品だったので、泣く泣く諦め。
そのぶん、絵葉書だの手刷り版画の年賀用ハガキだの干支のポチ袋だのを購入。はやいね、1年。
細見美術館はこじんまりしてるし、お客も若干名だし、上品なスタッフさんたちのホスピタリティはサイコーにあたたかく(とくにお掃除のおばちゃんには、大変よくしてもらった)、おまけにショップが充実しまくっているので、すっかりのんびりと長居してしまった(笑)
スタッフさんがおっしゃるには、「ショップだけ」にみえる方もいらっしゃるとか。 わかるわ〜! それ!!