栗原邸のまわり
2階で積み上がったトランクを見たりしているうちに、ギャラリートークの時間。階下にいくとすでに立ち見すらぎっしりの、チョー満員。
建築だけではなく、デザイナーなど多彩多芸な本野精吾について、いくらかを知る。残っている建築物は、5本の指に満たない。そのためか、つい最近までは忘れられた存在だったが、近年光があたるようになったとか。
ドイツで建築やデザインを学んだ本野精吾は、日本のモダニズム建築のリーダーとして、京都で活動する。京都という土地の風土は、歴史や伝統を重んじる半面、意外に最先端のアバンギャルドも柔軟に受け入れる度量がある。伝統というものは、新しい血を入れなければ途絶えてしまうものだということを、京都人はよくわかっていらっしゃるのかもしれない。
そういう土地なので、東京駅のように凝った装飾で縁取られる西洋建築が理想とされる頃、モルタルのないむき出しのコンクリートの建物が受け入れられたのだろう。耐震性のある機能的なモダニズム建築は、関東大震災でも倒壊しなかった建物に使用された中村鎮のつくった「鎮ブロック」を採用した。
戦後は米軍によって「栗原邸」は接収された。別の先生による、そんな「接収住宅」についての興味深い話もあったのだが、そろそろ「立ちっぱの足」が限界になってきたので、夫婦でおいとますることに。
玄関先から向かって左の栗原邸。庇のように、窓のまわりを囲むブロックのでっぱり。これは日本独特のものだそうだ。
コンクリートの建物だが、不思議に緑の樹木との相性もいい。
窓から見た緑も、心安らぐものだった。
空気ヌキの煙突だろうか。
少しずつずれる、踊り場にあった3枚の窓も、印象的。
建物をぐるりとひとまわりして、緑のアプローチを通りぬけ、再び門にたどり着く。
ここで、入って来る時には気づかなかったものが。
門扉のコロが通るレールがあった。
ズーム!
15時もまわり、木陰が少し伸び始めた。
緑と不思議な空気に包まれた建物、ほぼ百年の栗原邸よ、さようなら。