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紙魚子の小部屋 パート2 plus はてな版 (2009年9月〜)

平凡な主婦の日常と非日常なおでかけ記録、テレビやラジオや読書の感想文、家族のスクープなどを書いています。

紙魚子(しみこ)のおでかけのあれこれ、ユニークな家族、節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物などを書いています。

「見るな」の部屋でお茶をする。

以前の記事「紙魚子の小部屋」は下のリンク集から読めます。

 それでも腐ってもお屋敷(腐ってはないが)、庭は7つ、蔵は3つ、お風呂は5つ、トイレはお坊さん専用という特殊なのも含め、5つもある。トイレは二つあると便利だが、5つもあると掃除が大変だろう。と、余計な所で心配になる。

 ちなみに下のグッズは、昭和40年代まではあった懐かしい物件だ。水道のない場所でトイレの後の手洗いをするための水タンクで、下の出っ張りを押さえるとちろちろと水がでてくる、いまではレアなものだ。私はプラスチックのものしか見たこと(使ったこと)がないが、これは金物だった。よりレアものに違いない。

 畳の部屋は26あるそうだ。はっきりいって、案内がなければ迷子になりそうだった。この屋敷で遭難し、二度と出て来れなくなった方も多数いるかもしれない。「近江商人の屋敷ヶ原樹海」が、この地の都市伝説のひとつに取りあげられる日も近そうだ。

 この障子は、もしかしてお公家さんのおうちでお目にかかる「石垣貼り」では? Mさんによれば、障子紙自体もかなり特殊なものらしい。探すのが難しいとはいえ、伝統的な職人さんがまだしも残っている京都に近い滋賀県でよかったよ、まったく。

 ところで地元の方の情報によると、昔から「決してだれもみてはならぬ」という部屋もあったらしい。恐るべきお仕置き部屋かもしれないとドキドキしたが、私たちは、見学後、まさにその部屋に通されて、お茶と高級な和菓子の生菓子を出していただいたのだ。

 なんということだ! ふたたび我家に帰れるのだろうか!?

 と心配する前に、Mさんが説明してくださった。

 この部屋は近江商人が、悪代官と密談をしたり、「そちもワルよのう」とお互いに罵り合いつつ笑い合ったり、「山吹色の菓子箱」を贈ったりする、大金の絡む商談の部屋だったらしい。「出雲の神より恵比寿の紙」「親子の仲でも金銭は他人」というくらいだし、使用人も相応に大勢使っていたそうなので、堅く扉を閉ざす部屋が必要だったのだろう。

 そんな商取引で得た大金がうなっていたかもしれない外蔵を移して家とドッキングさせ、「うち蔵」にしたMさんご夫妻。おそるべき力技だと驚いたが、やはり大工さんに依頼したらしい。下は「うち蔵」の内扉。

 いまは大金がうなってはいないので、ベッドルームだったか、子供部屋だったかになっている(いっぱい見すぎて、記憶が混乱)

 Mさんの「古民家の暮らし」にこだわる姿勢は、夏でも火鉢に火をおこした炭を欠かさずついでいることにも現れている。

 ☆おまけ☆

 たくさんの珍しいものをたくさん見たので、おすそわけ。

 藤の乳母車。かわいいっ♪ 奥様がリフォームして、実際に使われたらしい。

 庭の木陰でドンジャラホイ〜♪と、屋敷の真の主とおぼしき石造りのタヌキを発見した。あの陽気な信楽狸と同じフォルムなのに、石というだけで、なぜこうも重々しいのか。石だけに、だからか。

 上質な材を使っている他は、シンプルな箪笥、と思いきや。

 取っ手がこんなに凝っている!

 お庭のひとつは、こんなにも野趣あふれる場所もあった。居ながらにしてススキ越しにお月見ができるとは。おうちで月見の宴。豪商というより、貴族に近い優雅さである。

 帰りには「老舗の料亭に卸している」というお醤油屋さん(でもリーズナブル)をMさんご夫妻に教えていただき、お醤油を買って、近江商人屋敷ヶ原樹海から、無事に生還したのであった。