妙喜庵/待庵 (続)
仏間の書院からつづく庭に面した縁側が、ゆったりひろびろで、ここにいるとうっかりのんびりしてしまいそう。庇も長い。長い縁側の先にも、一段低く小振りな縁側も付いていたので、よけいに広く感じたのかも。
縁側を降りて、用意されているツッカケをはき5人ずつ順番に、右手にある待庵を見学する。帯状に石が埋め込まれたアプローチを曲がれば、待庵のにじり口に到着する。一般的なにじり口より広めだ。これなら太め体形でも入りやすそう?
待庵の屋根は杮葺きの切妻屋根。待庵はわずか二畳という極小の「茶室」、及び一畳と細い板を敷いた「次の間」、水屋である一畳の「勝手の間」の三室から成る。二畳なので、客はひとりかふたりになるが、太鼓障子をはずして板土間も使うと四畳半になり、6人は入れるらしい。
躙口から茶室内部を観ると、その正面には簡素な床が設けられている。これは奥の柱が塗り籠められた室床(むろどこ)で、かつては利休の書がかけられていたという。柱が塗り込められたことで、二畳の部屋が実際より広く感じられるらしいが、たしかに思ったより広く感じる。
おまけに天井が「掛け込み天井」(屋根裏の構成を室内に見せて、傾斜天井となっているもの)と「平天井」(天井面が水平になっているもの)が組合わさって、天井の高低差が部屋を広く見せている。
壁は藁を混ぜた荒壁で、下部には和紙を張った素朴なもの。東側には四角い下地窓が二つ、南側の躙口上部には連子窓が開かれ、室内に光を採り込んでいる。連子窓はほどよい太さの竹が、土壁に空けられた窓に鉄格子(!?)のように入っているもの。次の間と勝手の間にも、一つずつの下地窓が設けられている。
明るすぎず暗すぎず、適度な明度の部屋になっている。さすが利休がつくったという待庵である。
ところで荒壁は藁がすき込んであるため、ヒビが入りやすいのだそうだ。しかし400年前の壁はヒビひとつない。阪神大震災の揺れにもびくともしなかった。おそるべし、400年前の職人ワザ。
荒壁には黒いところやベージュのところがあったので、その差はなんだろうと思い林先生に質問すると、黒いところは火を使った時の煤などがついているのだろうとのこと。
待庵の見学を終え書院から待庵を見ると、樋が孟宗竹を半分に割ったもの。それは先日の光悦寺のお茶室にもあったのだけど、雨水を落とす筒状の部分も竹なのが素敵。で、その竹の先の地面の周りには、大振りの石が一重に竹を取り囲むように並べられ、そのまわりを小石がドーナッツのように囲んでいた。いいなあ。
これで下が水琴窟だったら・・・って、雨が降ったら鳴り続けてやかましいわ〜! 少なくとも利休の趣味ではありえない。水琴窟は「つくばい」や手水鉢とかだからいいんだって。
書院の奥の濡れ縁を歩いていると、静岡からグループで参加されている中堅な年齢の方のひとりが、メジャーで濡れ縁を図っておられた!
「やっぱり4尺ある!3尺だったら、狭いよね!」
メジャー持参で、しかも「尺」という単位を普通に使う方々が参加されていらっしゃるとは! それは「専門家集団」ではありませんか! というようなツアーでもあったことに、このとき初めて気づいたのでした。