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紙魚子の小部屋 パート2 plus はてな版 (2009年9月〜)

平凡な主婦の日常と非日常なおでかけ記録、テレビやラジオや読書の感想文、家族のスクープなどを書いています。

紙魚子(しみこ)のおでかけのあれこれ、ユニークな家族、節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物などを書いています。

お茶室で「マッサン」再び

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 「橡の木茶屋」では林先生から、山荘を作った加賀正太郎と、夏目漱石の関係についての話を聴いた。夏目漱石に山荘の名前をつけてくれるよう、お願いしたらしいのだ。漱石は20個ほど候補をあげ、加賀さんに送ったらしい。ところが加賀さんはすべて却下して、シンプルに「大山崎山荘」と命名。むろん漱石はヘソを曲げてしまい、以降2人は疎遠になったとか。

 降り止まぬ雨の中、彩月庵に移動する。

 竹林の中を進む。自然の山の竹林ではない証拠に、庭石のようなものが(写真がブレていてすみません)。

 飛び石が続く。雨で濡れているので、滑らないように気をつける。ほどなく到着。ツクバイがお茶室の風情を漂わせていた。

 彩月庵にもありがたいことに椅子が並んでいた。ここも立礼のお茶室だが、ごく普通な感じのお茶室だった。ここで林先生が加賀正太郎と竹鶴政孝、山荘とニッカの関係についての話を始める。

 1888年、大阪船場の株相場師の息子として生まれた加賀正太郎は、現在の一橋大学を卒業するとイギリスを中心に欧州へ遊学し、アルプスの山々に登頂した日本人のさきがけとなった。イギリスから持ち帰ったモダンな生活様式を日本に定着させようとした人でもあった。

 帰国後、証券会社を設立した加賀正太郎は、ウィンザー城からの眺めに似ている山崎に、大山崎山荘を作った。山荘の構造は鉄筋コンクリート造であったが、外観は木の柱を露出させその間にレンガ壁を組んだハーフティンバー工法で、淀川を見渡すテラスが備えられていた。内部はがっしりとしたイギリス風の調度がそなえられていた。

 マッサンこと竹鶴政孝が、1934年に壽屋(現・サントリー)で山崎蒸溜所を立ち上げ、工場長となって山崎に住んでいた頃、加賀正太郎はご近所だったので、彼らは親しくつきあっていた。マッサンの妻であるエリーことリタは、加賀夫人・千代子に英会話をおしえていたらしい。

 その後、マッサンが北海道の余市で、自らの理想とするスコッチウイスキー製造に乗り出したときに、加賀正太郎は大日本果汁(後のニッカウヰスキー)創立に資金面で支援し、筆頭株主になった。 

 そんな加賀さんと竹鶴政孝の関係から、朝ドラ「マッサン」のストーリーの再話が始まってしまった。延々とはてしなく続く。「マッサン」でいえば、西川きよしさん演じる社長の会社に入る所から始まり、転職して「寿屋」で本格的にウイスキーを作り、独立してニッカウヰスキーを立ち上げるまでを詳細に。

 「マッサン」を見てアバウトなストーリーを把握している私にとっては、これはなかなかの苦行に近い。いままで思いもしなかったが、「ドラマをみて失敗した、損した」という事態に、生まれて初めて直面した。まさか、こんなことがあるなんて! いやいや、逆にそんな歴史的な話をすでに知っていることを、誇ればいいのだけど、これはいささか辛い。

 しかし「マッサン」の話は、そのふたりがいなくなった後も、ニッカと大山崎山荘の縁が続いて行くという話につながって行く。

 山荘は後に加賀家の手を離れ、様々な所有者の手に移り、会員制レストランなどに再利用されることもあった。しかし年々老朽化が進み、バブル経済末期には建設業者が買収し、一帯を更地としマンションを建てる開発計画を立てた。

 当然、天王山の横腹に大きなマンション群が林立し景観が一変することに反対する地元住民は、山荘の価値を見直し、山荘と周囲の森林の保全を訴えた。

 これが大山崎町京都府を動かし、さらに当時の知事荒巻禎一の友人だったアサヒビールの社長樋口廣太郎が知事の申し出に応じて企業メセナ活動として保存に協力することになった。

 1954年、病床にあった加賀は、創立に参加したニッカウヰスキーの株式をすべて、自らの方針に賛同してくれたアサヒビールに譲渡し、ニッカはアサヒビールの子会社になっていた。さらにアサヒビール初代社長の山本為三郎と加賀正太郎は交友があり、両者の縁が深かったことが幸いした。

 こうして土地は京都府大山崎町などが業者から買い取り、山荘はアサヒビール運営の山本コレクションの美術館となることが決まり、保存・修復された山荘は、1996年に美術館として開館した。以来多くの観光客を受け入れている。

 

 何度も大山崎山荘美術館には来ているのに、こんな危機があったとは! 彩月庵からは自由行動&解散となり、より感慨深くなった大山崎山荘美術館へ。

 私たちにとっては時間が押し気味だったので、大山崎山荘美術館はざっと観る程度にし(それでも懐深く寛がせてくれる場所なのである)、イギリス風な重厚さのあるレトロな喫茶室で、コーヒーを飲み休憩する。やれやれだ。

 飲み物がくるまで、私は山中に張り出したテラスからの絶景を眺めに行き、胸いっぱいに景色を体感した。

 まず正面から。手すりにもたれて、存分にながめる。

 横手に回り込んで眺める。

 紅葉が見事。

 雨は雨なりの風情がある。

 私たちの長い充実の一日が終わった。一日とは思えないほど、ものすごいぎっしりな時間だった。

 そういえば、一日を「長い」なんて思う日は、ほぼない。その点でも貴重な一日。